この記事でわかること
- 低温調理がしっとりするのは温度が低いからではなく、熱源と狙いの温度差がゼロだからであること
- ミオシンとアクチンの変性温度のあいだに、食感の窓があること
- 低温調理は肉をやわらかくする操作ではなく、水を逃がさない操作であること
- 窓は点ではなく肉の中に分布していて、表面と中心で変性の進み方が違うこと
低温調理をすると肉がしっとり仕上がる、という説明はよく見かけます。ただ、その理由として書かれているのはたいてい「低い温度でゆっくり火を入れるから」で、これは言い換えであって理由ではありません。
理由は2つあります。ひとつは、肉のタンパク質が一斉に固まるのではなく、種類ごとに変わる温度が違うこと。もうひとつは、湯の温度を狙いと同じ値に置くと、その温度差を利用できる形になることです。
この記事は、この2つを分けて説明します。温度と時間の設定値そのものは扱いません。
低温調理の4つの問いの中での、この記事の立ち位置
低温調理でつまずく場所は、原理・安全・食材別・仕上げの4つに分かれます。この記事が答えるのは、そのうち原理の一問だけです。
| 問い | 答える記事 | 決まること | この記事との違い |
|---|---|---|---|
| なぜ低温で加熱するのか(原理) | この記事 | 何℃を狙うと食感がどちらへ振れるか | ― |
| その条件でなぜ安全と言えるのか | 低温調理の安全条件 | 何℃で何分保てば食べてよいか | 菌が死ぬ条件の話で、食感とは独立した問い |
| この食材なら何度で何分か | 低温調理の食材別の温度と時間 | 設定温度・時間・厚みの組み合わせ | この記事の原理を食材ごとの数値に落とす記事 |
| 湯から出した後に何をするか | 準備中 | 焼き目・冷却・保存の手順 | この記事は湯の中で起きることだけを扱う |
とくに混ざりやすいのが、原理と安全です。タンパク質が何℃で変わるかという食感の話と、菌が何℃で何分で死ぬかという安全の話は、たまたま同じ温度帯に重なっているだけの別問題です。この記事を読んで「55℃でおいしくなる」と分かっても、それは「55℃で安全」を意味しません。安全の判断は低温調理の安全条件で別に行ってください。
「やわらかい」と「しっとり」は別の問題
低温調理の説明では、やわらかさとしっとりさが同じものとして語られがちです。この2つは、肉の中の別々の部品が決めています。
肉のかたさには2つの出どころがある
食肉科学では、肉のかたさを出どころで2つに分けます。
| かたさの種類 | どこから来るか | 加熱でどう動くか |
|---|---|---|
| アクトミオシン由来のかたさ | 筋原線維(筋肉を動かすタンパク質の束) | 加熱で変性・収縮してかたくなる。水も同時に失う |
| 結合組織由来のかたさ | 筋内膜・筋周膜などのコラーゲン | 短時間の加熱ではかたくなる。長時間かけて初めてゼラチンに変わる |
出典:若松純一(北海道大学)「肉のかたさを科学的に考えてみよう!」2018年セミナー資料。英語文献では前者を actomyosin toughness、後者を background toughness と呼びます。
食肉のタンパク質の構成は、筋原線維が60%(うちミオシン29%・アクチン12%・その他19%)、筋細胞内に溶けている筋漿タンパク質が29%、結合組織とその他が11%です(同資料、Lawrie 1998 より作図)。量でいえば筋原線維が主役で、結合組織は1割ほどしかありません。
低温調理が動かせるのは筋原線維の側だけ
低温調理の温度帯で起きているのは、筋原線維の側の話です。結合組織のコラーゲンは、この温度帯では柔らかくなりません。
だから、すね肉やバラ肉を60℃で1時間加熱しても、やわらかくはなりません。かたさの原因が結合組織にある部位に必要なのは、温度ではなく時間です(コラーゲンとゼラチン化の科学)。
この記事の結論を先に一文で書くと、こうなります。低温調理は肉をやわらかくする操作ではなく、肉から水を逃がさない操作です。
ミオシンとアクチンのあいだに、食感の窓がある
では、水を逃がさないとはどういうことでしょうか。ここがこの記事の中心です。
ミオシンは50℃前後から、アクチンは66℃から
筋原線維の主役は、ミオシンとアクチンという2つのタンパク質です。この2つは、変わり始める温度が違います。
| タンパク質 | どこにあるか | 変わり始める中心温度 | 変わり終わる中心温度 | 変わった後に起きること |
|---|---|---|---|---|
| ミオシン | 筋原線維の太いフィラメント | 50℃前後 | 55〜60℃ | 肉が白くなり、適度な弾力が出る |
| アクチン | 筋原線維の細いフィラメント | 66℃ | 70〜73℃ | 筋原線維が強く縮み、抱えていた水が絞り出される |
| コラーゲン | 結合組織(筋内膜・筋周膜) | 60〜70℃で収縮 | 80℃以上の長時間加熱でゼラチン化 | 収縮の段階ではかたくなり、ゼラチン化で初めてほぐれる |
出典:当サイトのタンパク質変性の科学にまとめた値(McGee、消防庁が公開する総説ほか)。いずれも肉の中心温度で、pH・食材の状態・昇温の速さで数℃動きます。
ミオシンが変わってアクチンが変わっていない温度帯――おおよそ55〜65℃――が、食感の窓です。ここでは肉に火が通って弾力が出ているのに、筋原線維はまだ縮んでいません。
窓を超えると筋原線維が縮んで水が押し出される
肉の水分は、筋原線維のフィラメントとフィラメントのすき間に抱えられています(肉の保水性とドリップの科学)。アクチンが変性すると、この格子が強く縮み、すき間にあった水が外へ押し出されます。
押し出された水は、ただの水ではありません。アミノ酸などの旨味成分が溶けています。だから窓を超えた肉は、かたくなるだけでなく味も薄くなります(若松)。
ミオシンの側は逆に働きます。日本食肉科学会の解説によれば、ミオシンは加熱するとゲルを作り、そのゲルによって食肉製品は保水性を発現します。つまりミオシンの変性は、水を失う方向ではなく、水を抱える網を作る方向の変化です。
窓の中に止まるというのは、水を抱える網はできていて、網を絞る収縮はまだ起きていない、という状態で止まるということです。
実測された2つのピーク(56.3℃と73.2℃)
この2段構えは、日本の査読論文でも実測されています。
東京海洋大学の石渡らは、市販の国産牛モモ肉を示差走査熱量計(DSC)にかけ、昇温速度10℃/分の条件で56.3℃と73.2℃の2か所に吸熱のピークを観測しました。低い方がミオシン、高い方がアクチンの変性によるものと帰属されています。
| 測定された吸熱ピーク温度 | 帰属されたタンパク質 | 測定条件 |
|---|---|---|
| 56.3℃ | ミオシン | 国産牛モモ肉15mg・昇温速度10℃/分・25〜110℃の温度帯 |
| 73.2℃ | アクチン | 同上 |
出典:石渡奈緒美ほか「真空調理法に基づく畜肉加熱処理時のタンパク質変性分布および微生物挙動の予測」日本食品工学会誌 14(1), 19-28 (2013)。示差走査熱量測定(DSC)は、試料を一定の速さで昇温しながら熱の出入りを測る方法です。
読み方に注意が要ります。この2つは変性が始まる温度ではなく、その昇温条件で熱の吸収が最大になる温度です。同じ論文は昇温速度を5〜20℃/分まで変えて測定しており、ピーク温度は昇温の速さで動きます。変性は点ではなく帯として進むので、表の帯(50〜60℃・66〜73℃)とこの実測ピーク(56.3℃・73.2℃)は、同じ現象を別の方法で切り出した値です。
なぜ焼く・煮るでは、その窓を通り過ぎてしまうのか
窓の存在は、低温調理に限った話ではありません。フライパンで焼いてもオーブンで焼いても、肉の中心は同じ温度帯を通ります。にもかかわらず仕上がりが違うのは、窓の中で止まれるかどうかが違うからです。
熱源が狙いより100℃以上高い
フライパンやオーブンの温度は、およそ150〜300℃です。狙う中心温度が55〜65℃だとすると、熱源はそれより100℃以上高いことになります。
高い熱源で低い着地点を狙うので、途中で止める操作が必要になります。止める時刻を外せば行きすぎます。そして中心が55℃に届いたその瞬間も、表面ははるかに高い温度にいます。
断面にできる層は、温度の勾配そのもの
焼いた肉を切ると、外から内へ向かって色と硬さの層ができます。これは焼き加減の証拠ではなく、肉の中に温度差が残っている証拠です。
同じことは1971年の総説にも書かれています。鈴木たね子は、牛肉を焼くとき外側はいち早く65℃に達してタンパク質が凝固するが、肉は熱の伝導が悪いので内部はまだ温度が上がらず凝固しないで流動している、と述べています。外側はすでにアクチンの帯に入っているのに、中心はまだミオシンの帯にも届いていない、ということです。
同じ総説は、肉が薄いと外側と内側の温度差が少ないため速く内部まで収縮凝固してパサパサした感じになる、とも書いています。薄い肉ほど窓を通り過ぎやすいのは、厚みが温度差の緩衝になっていたからです。
湯温を狙いに合わせると勾配が消える
低温調理は、熱源そのものを狙いの温度に置きます。60℃の湯に入れた肉は、時間が経てば表面も中心も60℃に近づき、そこで止まります。
熱は温度の高いほうから低いほうへ流れ、差が無くなると流れが止まります。60℃の湯と60℃の肉のあいだでは熱が動かないので、肉はそれ以上熱くなれません。窓の中で止まるのは、タイマーを見張っているからではなく、そこから先へ進む仕組みが無いからです。
「しっとり」を数値で見る
しっとりしている、という言い方は主観に見えます。ただし保水は重量として測れるので、比較できる数字が残っています。
| 加熱の条件 | 食材 | 加熱による重量損失 |
|---|---|---|
| 60℃で5時間の真空調理 | 豚肉 | 16.7% |
| 100℃で30分の加熱調理 | 豚肉 | 36.4% |
| 80℃のオーブンで中心58℃まで(真空調理のローストビーフ) | 牛ランプ肉 398g | 14.8%(398g→339g) |
出典:上2行は Sanchez del Pulgar らの報告で、石渡ほか(2013)が自らの結果と比べるために引用した値です(当記事は同論文を通じた引用)。3行目は石渡ほか(2013)が実測した値。水分含量も真空調理した試料の方が高かったと報告されています。
同じローストビーフの寸法変化も測られていて、長さは107mmから90.0mm(15.9%減)に縮んだ一方、幅は0.70%増、高さは2.52%増でした。縮んだのは一方向だけで、直交する2方向はむしろわずかに膨らんでいます。加熱による収縮は全方向に一様ではない、ということです。
100℃で加熱した豚肉が重量の3分の1以上を失っているのに対し、60℃では6分の1ほどに収まっています。しっとりの正体は、この差です。
コラーゲンは、この窓では動かない
ここまでは筋原線維の話でした。もう一方のかたさ、すなわち結合組織のコラーゲンは、同じ窓の中では動きません。
コラーゲンは加熱に対して二段構えで反応します。まず60〜70℃で線維が収縮し、元の3分の1から4分の1ほどまで縮みます。ゼラチンに変わるのはその後で、80℃以上の長時間加熱か、それより低い温度なら何時間もかけて進みます。
この収縮が、窓を超えたときの被害を二重にします。若松の資料によれば、収縮したコラーゲンは密になってさらにかたくなり、筋線維を取り囲む筋内膜の網目が縮んで筋線維を圧迫するため、加熱による重量損失そのものも増えます。窓を超えると、水が出る方向とかたくなる方向の両方へ同時に悪くなるということです。
したがって、かたい部位を柔らかくしたいときに温度を上げるのは逆効果です。低い温度のまま時間を延ばすのが筋で、その仕組みはコラーゲンとゼラチン化の科学で扱っています。
原理から温度を動かすとき、どちらへ振れるか
窓の位置が分かると、設定温度を動かしたときに仕上がりがどちらへ向かうかを自分で読めます。
| 狙う肉の中心温度 | ミオシンの変性 | アクチンの変性 | 仕上がりの向き |
|---|---|---|---|
| 50〜55℃ | 変性が始まったところ | 変わらない | 生に近い食感が残る。火が通った感じは弱い |
| 55〜60℃ | 変性が完了する | 変わらない | 弾力が出て、水は残る。窓の中心 |
| 60〜66℃ | 完了している | 変性の直前 | 火が通った食感で水も残る。安全条件も満たしやすい |
| 66〜73℃ | 完了している | 変性が進む | 収縮が始まり、水が出ていく。パサつきが出る |
この表は食感だけを見たもので、安全の下限は含んでいません。豚肉は中心63℃で30分間以上(または同等以上)、鶏肉も中心が63℃に達してから30分の維持が必要なので、表の50〜60℃の行はそのままでは使えません。安全の下限を満たしているかは低温調理の安全条件で別に確かめてください。
いずれも肉の中心温度で、湯の温度ではありません。中心がその温度に達するまでの時間は厚みと重さで変わります。
66℃を超えた瞬間にパサつくわけではありません。アクチンの変性は66℃から70〜73℃にかけて連続的に進むので、水の失われ方も連続的です。63℃と68℃で仕上がりが違うのは、この途中のどこで止めたかの違いです。
ただし、下限を食感だけで決められない食材があります。鶏肉や豚肉では安全条件のほうが先に下限を決めます。鶏肉なら中心が63℃に達してから30分の維持が必要で、厚生労働省はこれと同等の条件として65℃15分・66℃11分・70℃3分・75℃1分を示しています(いずれも中心温度に達してからの維持時間)。食感の窓の下端は55℃あたりにありますが、鶏肉ではそこを選べません。
何が温度を縛っているかは食材ごとに違うので、実際の設定は低温調理の食材別の温度と時間と、食材ごとの記事(たとえば鶏むね肉の低温調理)で決めてください。この記事が渡すのは、決め方の根拠だけです。
まとめ
低温調理でしっとり仕上がる理由を、4点にまとめます。
- 窓がある。ミオシンは50℃前後から55〜60℃で、アクチンは66℃から70〜73℃で変性します。この2つの帯が重ならないので、片方だけを変えて止まれる温度帯が生まれます
- 窓で止まれるのは熱源のおかげ。低温調理がしっとりするのは温度が低いからではなく、熱源と狙いの温度差がゼロで、それ以上熱くなる仕組みが無いからです。150〜300℃の熱源では、中心が窓にいるあいだも外側は窓を超えています
- 窓は分布している。真空調理のローストビーフの実測では、ミオシンは肉のどの位置でも変性を終え、アクチンは表面だけが変性して中心は未変性のまま保たれていました
- やわらかさは別の問題。結合組織のかたさは、この窓の温度では取れません。温度を上げると水が出る方向とかたくなる方向へ同時に悪くなるので、必要なのは温度ではなく時間です
狙う温度を決めるとき、この記事が答えるのは「その温度で食感がどうなるか」までです。「その温度で安全か」は低温調理の安全条件で、独立に判断してください。