この記事でわかること
- 低温調理の安全が3つの条件の積で、どれか1つ欠けたら成り立たないこと
- 加熱は菌をゼロにする操作ではなく、決めた割合まで減らす操作であること
- 加熱で死なない菌がいるため「増やさない条件」が独立して必要なこと
- 条件を満たしたと確認できない状態は、満たしていない状態として扱うこと
低温調理が安全かどうかを聞かれたとき、多くの解説は「中心温度を63℃にして30分保てばよい」と答えます。この答えは間違っていませんが、答えている範囲が狭すぎます。
この条件が保証しているのは「加熱で死ぬ菌を、加熱で減らした」ことだけです。加熱では死なない菌がいること、加熱の前後にも菌が増える時間があること、そして条件を満たしたかどうかを自分で判定できるかどうかは、この数値の外側にあります。
この記事は、低温調理の安全を3つの条件に割って、それぞれが何を保証していて何を保証していないのかを示します。温度と時間の数値そのものは扱いません(一覧は低温調理とはにあります)。
低温調理の「安全」は3つの条件の積
低温調理で「安全に作れた」と言えるのは、次の3つが同時に成り立ったときです。
| 条件 | 何を決めるか | 欠けると起きること |
|---|---|---|
| ① 殺す条件 | 加熱で死ぬ菌を、どの温度で何分保って減らすか | 加熱不足。設定どおりに作ったつもりで菌が残る |
| ② 増やさない条件 | 加熱で死ななかった菌を、加熱の前後と加熱中に増やさない温度と時間 | 加熱は足りていたのに、冷ます途中や保存中に菌が増える |
| ③ 確認できる条件 | ①②を満たしたと、何を測って判定するか | 満たしているかどうかが誰にも分からない。結果が運になる |
この3つは足し算ではなく掛け算です。①を厳しくしても②や③の欠けは埋まりません。
そして低温調理は、3つのどれもが崩れやすい加熱方法です。中心温度が設定温度に届くまでの時間が長く、使う温度帯が菌の増える帯のすぐ上にあり、湯の温度と食材の中心温度が離れているからです。
世の解説の多くは①だけを「安全」と呼び、②を保存の注意書きとして末尾に置き、③にいたっては条件として扱っていません。順に見ていきます。
条件① 殺す|加熱は菌をゼロにする操作ではない
温度と時間が交換できるのは、加熱が「減らす操作」だから
条件①が相手にしているのは、加熱で死ぬ菌です。食品安全委員会は、鶏肉で最も心配されるのはカンピロバクター、牛肉では腸管出血性大腸菌O157だとしています。
その加熱殺菌は「この温度を超えたら全滅する」という操作ではありません。ある温度に置かれているあいだ、菌の数は時間とともに減っていきます。温度が高いほど減り方が速く、低いほど遅い。だから、低い温度でも時間を長くすれば同じところまで減らせます。
厚生労働省が「75℃で1分間以上又はこれと同等以上」として複数の組み合わせを示しているのは、この性質があるからです。具体的な組み合わせの一覧は低温調理とはにあるので、ここでは繰り返しません。
数え始めは、中心温度が設定温度に届いてから
「63℃で30分」の30分は、鍋に入れてから30分ではありません。食材の中心が63℃に届いてから、そこで30分です。低温調理では中心が設定温度に届くまでに長い時間がかかるため、この数え始めを取り違えると、加熱の総量が大きく足りなくなります。
堺市が公開している失敗事例の低温調理編は、まさにこの形です。鶏ムネ肉を、水温が上がりきる前から調理器に入れて食中毒になっています。加熱の設定を守っていないのではなく、数え始めが違っていたという失敗です。
世田谷区が行った加熱実験も同じことを示しています。低温調理器で60℃に保った湯に鶏肉を20分、30分と湯せんしたところ、どちらからもカンピロバクターが検出されました。同区は「20分湯せんと30分湯せんで肉の色に差はありましたが、どちらもカンピロバクターが検出されました」と書いています。
出典:世田谷区「カンピロバクターによる食中毒に気をつけましょう!」、堺市「失敗から学ぶ加熱のコツ 〜食中毒にならないために〜」。
色が変わったことは、条件を満たした証拠になりません。色と安全がなぜ結び付かないのかは肉の色と安全で扱っているので、ここでは触れません。
条件② 増やさない|加熱で死なない菌がいるから、独立した条件になる
条件②は「作り置きのときの注意」として扱われがちです。しかし実際には、条件①が原理的に届かない範囲を受け持つ、別の条件です。
根拠になるのが芽胞(がほう)です。一部の菌は、環境が悪くなると熱や乾燥に強い殻をかぶった状態になり、加熱をやり過ごします。ウエルシュ菌がその代表です。
| ウエルシュ菌について分かっていること | 値・内容 |
|---|---|
| 耐熱性芽胞の耐熱性 | 100℃で1〜6時間の加熱でも生残する。食中毒を起こすのは主にこの型 |
| 通常の加熱調理での扱い | 食品中の芽胞を死滅させることはできない |
| 増殖できる温度域 | 12〜50℃(至適温度 43〜45℃) |
| 緩慢に冷却したときの挙動 | 55℃付近から急速に増殖する |
| 有効な防止手段 | 殺菌ではなく増殖阻止(速やかに食べる・小分けにする・低温または高温で保存する) |
出典:内閣府 食品安全委員会 ファクトシート「ウエルシュ菌食中毒」(平成23年11月24日作成)。芽胞とは、菌が増殖に適さない環境で菌体内に作る、熱や乾燥に強い抵抗性を持った構造のこと。
つまり、殺す条件を完璧に満たした食品にも、菌が残っていることがあります。残った菌を増やさないための条件が、加熱条件とは別に要る。これが条件②が独立している理由です。
厚生労働省の大量調理施設衛生管理マニュアルは、この条件を温度と時間で示しています。調理後すぐに提供しない食品は10℃以下または65℃以上で管理すること、加熱後に冷ます場合は食中毒菌の発育至適温度帯(約20〜50℃)にいる時間を短くするため、30分以内に中心温度20℃付近(または60分以内に10℃付近)まで下げることです。
低温調理に固有の事情もあります。中心温度が設定温度に届くまでの時間のあいだ、食材の内側は菌が増えられる温度域を通過しています。食品安全委員会の実測では、300g・厚さ3cmの鶏ムネ肉で平均68分、同じ大きさの牛モモ肉で約94分かかりました。つまり低温調理は、加熱の最中に②の時間を使っている加熱方法です。だから「加熱が終わってから冷ますまで」だけを見ていては足りません。
なお、菌が増えられる温度の範囲は菌ごとに違います。ウエルシュ菌の12〜50℃は、他の菌にそのまま当てはまる値ではありません。「危険温度帯」という言葉でひとつの範囲に丸める前に、何の菌についての範囲なのかを確かめる必要があります。この記事では、実際に手を動かすときの目安として、厚生労働省の示す10℃以下または65℃以上を使います。
条件③ 確認できる|満たしたと判定できない状態は、満たしていない状態として扱う
3つめは、条件として書かれていることに気づかれにくいものです。しかし通知の原文を読むと、はっきり条件の一部として書かれています。
厚生労働省の「食肉の加熱条件に関するQ&A」は、75℃1分と同等の条件を列挙した直後にこう続けます。「また、調理の現場においては、中心温度計の適切な使用により、食肉の中心部の温度が目標とする温度を下回らないことを確認し、確実な加熱殺菌が行われるようにする必要があります」。
大量調理施設衛生管理マニュアルも同じです。「中心部温度計を用いるなどにより、中心部が75℃で1分間以上(中略)又はこれと同等以上まで加熱されていることを確認するとともに、温度と時間の記録を行うこと」。条件を満たすことと、満たしたと確認して記録することが、ひと続きで書かれています。
食品安全委員会はさらに具体的です。低温調理の実測を解説したページで、内部温度を「肉の三か所の温度を測定した中で最も低い最低温度」と定義しています。1点だけ測った値を、条件を満たした証拠には使えません。
| 測り方 | それで分かること | それでは分からないこと |
|---|---|---|
| 湯の温度を測る | 熱源の温度が設定どおりか | 食材の中が何℃か。設定温度に届いたか |
| 食材の中を1点だけ測る | その1点が何℃か | その点が最も温度の低い場所かどうか |
| 食材の中を三か所測って最低値を取る | 食材全体が条件の温度に届いたか | 届いてから何分保ったか(時間は別に数える) |
出典:厚生労働省「食肉の加熱条件に関するQ&A」、同「大量調理施設衛生管理マニュアル」II-2、内閣府 食品安全委員会「肉を低温で安全においしく調理するコツをお教えします!」。
だから低温調理で最初に用意すべき道具は、湯温を保つ機器ではなく中心温度を測れる温度計です。湯温が安定していることと、食材の中心が条件を満たしたことは、別の事実です。
ここで大事なのは、判定できない状態は「たぶん大丈夫」ではないということです。実際には条件①②を満たしていたとしても、満たしたと言えないなら、人に出す根拠がありません。加熱不足とは別の、3つめの失敗の形です。
3つの条件のどれが欠けると何が起きるか
3つを実際の失敗に並べると、自分の手順のどこを点検すればよいかが決まります。
| 欠けた条件 | 起きること | 実例 |
|---|---|---|
| ① 殺す | 設定どおりに作ったのに菌が残る | 低温調理器で60℃・20分および30分の湯せんをした鶏肉から、いずれもカンピロバクターが検出された(世田谷区の加熱実験) |
| ② 増やさない | 加熱は足りていたのに、冷却・保存中に菌が増える | 大量に作った煮込みを鍋のまま室温で緩慢に冷やすと、生き残ったウエルシュ菌の芽胞が発芽し、55℃付近から急速に増える(食品安全委員会) |
| ③ 確認できる | 満たしたかどうかを判定できないまま食べる | 鶏ムネ肉を水温が上がりきる前から調理器に入れ、色で火の通りを判断して食中毒になった(堺市の失敗事例) |
出典:世田谷区「カンピロバクターによる食中毒に気をつけましょう!」、内閣府 食品安全委員会 ファクトシート「ウエルシュ菌食中毒」、堺市「失敗から学ぶ加熱のコツ 〜食中毒にならないために〜」。
①を厳しくすれば②③も良くなる、という関係にはなっていません。63℃30分を守っても、そのあと鍋ごと室温に置けば②が崩れます。低温調理器の精度を上げても、中心温度を測らなければ③は埋まりません。3つは別々に点検するものです。
低温調理の中でのこの記事の立ち位置
低温調理の記事はいくつかの問いに分かれています。この記事が引き受けているのは、そのうち菌の話だけです。
| 問い | 何で決まるか | この記事との関係 |
|---|---|---|
| 安全と言えるか | 菌(殺す・増やさない・確認できる) | この記事 |
| なぜその温度で食感が変わるか | タンパク質の変性温度 | 別の問い。タンパク質の変性が答えている |
| この食材は何℃で何分か | 食材ごとの汚染の場所と厚み | 別の問い。低温調理の食材別の温度と時間が、この記事の条件を食材ごとの設定に落としている(数値の早見表は低温調理の技術) |
| 湯から出した後に何をするか | 冷却・保存・再加熱の手順 | この記事は条件②の根拠までで止める。手順は余熱調理と冷ますと味がしみる仕組みが扱う |
同じ温度帯を扱っていても、食感の話と安全の話は独立しています。「55℃でおいしいのだから55℃で安全だろう」という推測が成り立たないのは、2つが別の現象だからです。
この記事から先には、さらに3つの問いが分かれます。1つめの「温度と時間がなぜ等価と言えるのか」は75℃1分と63℃30分が同等な理由が答えています(この記事が条件①の存在と限界を扱うのに対し、あちらは条件どうしの換算の中身をD値・Z値で扱います)。残る2つ、菌が増えられる温度帯はどこからどこまでなのかと、中心温度を測れないときに何ができるのかはまだ記事になっていないので、いまは記事末尾の出典一覧にある一次資料を直接あたってください。実際の1品で3つの条件がどう組まれるかは鶏胸肉のハムが具体例になります。
まとめ
低温調理の安全は、ひとつの数値ではなく3つの条件の積で決まります。
- 殺す条件:加熱は菌をゼロにする操作ではなく、決めた割合まで減らす操作です。だから温度と時間が交換でき、そのかわり「条件を満たした=菌がいない」ではありません。数え始めは、中心温度が設定温度に届いてからです
- 増やさない条件:ウエルシュ菌のように加熱で死なない菌がいるため、加熱条件とは別に要ります。調理後すぐに提供しないなら10℃以下または65℃以上へ移し、冷ますときは20〜50℃にいる時間を短くします
- 確認できる条件:厚生労働省の通知も食品安全委員会も、条件を満たすことと中心温度計で確認して記録することをひと続きで書いています。判定できない状態は、満たしていない状態として扱います
この3つのうち、好みや流儀で動かせるものはひとつもありません。温度を何℃にするかは選べますが、3つの条件を点検したかどうかは選べません。