この記事でわかること
- 鶏むね肉は中心温度が63℃に達してから30分間維持すること
- 総加熱時間が到達時間と維持時間の和で決まること
- 秒で書かれた数値はD値で、加熱条件そのものではないこと
- 選べる設定温度が63〜65℃しか残らない理由
鶏むね肉の低温調理を調べると、60℃で2時間、63℃で1時間、65℃で1時間と、解説ごとに違う設定が出てきます。どれが正しいのでしょうか。
先に答えを書きます。日本の公的資料が鶏肉に示している条件は、中心温度が63℃に達してから30分間の維持です。 そして、この「30分」は鍋に入れてから30分ではありません。約300g・厚さ約3cmの鶏むね肉なら、中心が63℃に届くまでに平均68分かかります。
この記事は、鶏むね肉の設定を到達時間と維持時間という2つの量に割って決めます。そのうえで、解説によって桁が3つも違う数値が並ぶ理由——秒で書かれた数値と分で書かれた数値が、そもそも別のものを測っている——まで示します。
鶏むね肉は63℃なら「到達68分+維持30分」
答え|中心温度が63℃に達してから30分
内閣府 食品安全委員会は、肉の低温調理についてこう書いています。
63℃加熱なら肉の内部温度が63℃になってから、さらに30分間の加熱を維持する必要があります
対象として挙げられているのはカンピロバクターです。鶏肉で主に相手になる食中毒菌で、同委員会のファクトシートによれば、小売店における国産鶏肉の汚染率は32〜96%・平均65.8%と報告されています。牛のかたまり肉のように「菌は表面だけ」と見なせる食材ではありません。
ここで押さえるのは、この63℃が湯の温度ではなく肉の内部温度(中心温度)だということです。低温調理器の設定温度と中心温度は、加熱の途中ではまったく別の値になります。
30分は、鍋に入れてから30分ではない
同じ資料には、実測値も載っています。
| 測った対象 | 湯の温度 | 中心が63℃に届くまで | 到達後に必要な維持時間 |
|---|---|---|---|
| 鶏ムネ肉 約300g(厚さ約3cm・肉の初温14〜22℃) | 63℃ | 平均68分 | 中心63℃で30分間 |
| 鶏ムネ肉 約300g(厚さ約3cm) | 70℃・75℃ | 平均70分程度 | 中心63℃で30分間 |
| 牛モモ肉 約300g(厚さ約3cm) | 63℃ | 約94分 | 中心63℃で30分間以上 |
出典:内閣府 食品安全委員会「肉を低温で安全においしく調理するコツをお教えします!」。温度はすべて肉の内部温度(中心温度)で、湯の温度と区別して書かれています。
つまり63℃の湯に入れた場合、68分+30分=約100分が最低限の総加熱時間になります。早見表にある「1時間半〜2時間」の中身はこれです。
数え始めをどこに置くかという論点そのものは低温調理の安全条件が扱っています。この記事では、鶏むね肉に対する具体的な分数のほうを決めます。
公表されている温度と時間の組み合わせ
63℃30分だけが答えではありません。温度を上げれば維持時間は短くなります。公表されている組み合わせは次のとおりです。
| 中心温度(℃) | 必要な維持時間 | 出どころ |
|---|---|---|
| 63 | 30分間 | 食品安全委員会(鶏肉の低温調理)/厚生労働省(豚の食肉の基準) |
| 65 | 15分間 | 厚生労働省「食肉の加熱条件に関するQ&A」 |
| 66 | 11分間 | 同上 |
| 67 | 8分間 | 同上 |
| 68 | 5分間 | 同上 |
| 69 | 4分間 | 同上 |
| 70 | 3分間 | 同上 |
| 75 | 1分間 | 厚生労働省「大量調理施設衛生管理マニュアル」ほか |
出典:厚生労働省「食肉の加熱条件に関するQ&A」(70℃3分〜65℃15分)、同「豚の食肉の基準に関するQ&A」(63℃30分)、内閣府 食品安全委員会(鶏肉の63℃30分)。すべて中心温度に対する維持時間で、湯の温度でも総加熱時間でもありません。
この表のうち、鶏むね肉で実際に使うのは63℃と65℃の2行だけです。66℃以上は安全ですが、食感の側が壊れます(理由は後の節で扱います)。
なぜ温度を下げた分を時間で埋められるのかという原理は、75℃1分と63℃30分が同等な理由で扱っています。そこで確認したのは、この表の外側の条件を自分で計算して作ってはいけないということでした。使うのは表にある組み合わせです。
前提|この設定が成り立つ条件
ここまでの数値は、次の4つが揃っている場合のものです。1つでも外れると、表の分数はそのまま使えません。
- 湯温を一定に保てる機器を使うこと。 低温調理器のように設定温度を保持できる器具が前提です。鍋とコンロでは湯温が上下するので、中心温度の上がり方が実測値と変わります
- 中心温度計があること。 無い場合は到達時間を見積もるしかなく、手元の肉が実測値の条件(約300g・厚さ約3cm)から離れるほど誤差が大きくなります
- 冷蔵庫から出した肉で始めること。 実測値は肉の初温14〜22℃での結果です。常温に長く置いてから始めると、加熱の前に菌が増える温度帯を通ることになります
- 袋の空気を抜き、肉全体を湯に沈めること。 浮いた部分は湯に触れないので、その面からは熱が入らず到達時間が延びます
秒で書かれた数字と分で書かれた数字は、別のものを測っている
ここからがこの記事の本題です。低温調理の解説を読み比べると、鶏肉の63℃に対して「4分」「9分」「30分」と、桁の違う数値が並びます。どれかが間違っているのではなく、測っているものが違うことが原因です。
26.05秒はD値で、加熱条件ではない
食品安全委員会の資料には、63℃台の加熱について秒の単位で書かれた表もあります。図「O157とサルモネラ属菌の殺菌(D値について)」です。
| 肉の最低内部温度(℃) | サルモネラ属菌のD値=菌数を10分の1にする時間(秒) | 腸管出血性大腸菌O157のD値=同(秒) |
|---|---|---|
| 60.0 | 103.70 | 100.15 |
| 62.8 | 32.79 | 25.02 |
| 63.3 | 26.05 | 18.96 |
| 65.0 | 13.06 | 8.25 |
| 66.1 | 8.24 | 4.74 |
出典:内閣府 食品安全委員会「食中毒菌の科学的基礎データ」図「O157とサルモネラ属菌の殺菌(D値について)」(図中の出典表記:HACCP 衛生管理計画の作成と実践(データ編)、厚生省生活衛生局乳肉衛生課監修)。列見出しは「最低内部温度に達してからの加熱時間(秒)」。D値とは、その温度で菌数を10分の1(1桁分)に減らすのに要する時間のことです。
63.3℃でサルモネラ属菌が26.05秒。一方で同じ委員会が鶏肉には63℃30分と言う。70倍の開きがあります。
開きの1つめの理由は、表題に書かれています。この表はD値の表です。D値は菌数を10分の1にする時間、つまり1桁分の時間であって、加熱条件そのものではありません。26.05秒の加熱で減るのは1桁だけです。
6D〜7Dにしても、まだ10倍足りない
では何桁減らせば条件になるのでしょうか。同じ食品安全委員会が示しています。
加熱調理による殺菌では1/10⁶〜10⁷(6D〜7D)が条件に設定される
100万分の1から1000万分の1まで、つまり6桁から7桁です。63.3℃のサルモネラ属菌で計算すると、6Dは26.05×6=156秒(2.6分)、7Dは182秒(3.0分)になります。
秒から分にはなりました。それでも公表条件の30分にはまだ10倍足りません。逆向きに、公表条件が何桁分に当たるのかを同じD値で割ってみます。
| 公表されている鶏肉・食肉の加熱条件(中心温度・維持時間) | 計算に使ったサルモネラ属菌のD値(秒) | 菌数が何桁分減る計算になるか(計算値) |
|---|---|---|
| 中心63℃・30分間 | 26.05秒(63.3℃) | 約69桁分 |
| 中心65℃・15分間 | 13.06秒(65.0℃) | 約69桁分 |
| 中心66℃・11分間 | 8.24秒(66.1℃) | 約80桁分 |
出典:加熱条件は厚生労働省と食品安全委員会の公表値、D値は上記の同委員会の図。「何桁分に当たるか」の列は公表値どうしを割った計算値で、公的に示された数値ではありません(D値の測定条件と加熱条件の対象菌は一致していないため、厳密な換算にはなりません)。
低温側の公表条件は、どれも69〜80桁分に集まります。委員会自身が「6D〜7Dが条件に設定される」と書く水準の、およそ10倍です。
差は「前提が3つ違う」ことから来る
なぜ10倍なのか。資料に理由は書かれていないので断定はできませんが、2つの数値は前提が3つ違います。
| 違う前提 | D値の表(秒) | 鶏肉の加熱条件(分) |
|---|---|---|
| 対象としている菌 | サルモネラ属菌・腸管出血性大腸菌O157 | カンピロバクター |
| 想定している食品 | 牛肉(同じ図に「牛肉の表面下10mmから検出されたO157菌数」が併記されている) | 鶏肉(鶏ムネ肉での実測が併記されている) |
| 数値の性格 | 実験室で測った菌の減り方そのもの | 現場で守らせる基準。温度計の誤差や肉ごとの差を吸収する余裕を含む |
だからこの2つは、どちらかが正しくてどちらかが間違っているのではありません。片方は菌の性質の測定値で、もう片方は調理する側が守る条件です。用途が違います。
そして、調理する側が使うのは後者です。計算で出した「3分」は、なぜ30分なのかを理解するための数字であって、30分を短くしてよい根拠にはなりません。条件は計算で作らず、公表された組み合わせから選ぶ——この判断は75℃1分と63℃30分が同等な理由で確かめたとおりです。
厚みが動かすのは到達時間だけ
設定温度が決まれば維持時間も決まります。残るのは到達時間で、ここだけが手元の肉ごとに変わります。
湯温を上げても到達時間は縮まない
到達を早めようとして湯温を上げたくなりますが、実測はそうなっていません。鶏ムネ肉300gで、63℃の湯なら平均68分、70℃・75℃の湯でも平均70分程度です。12℃上げても2分しか変わりません。
湯の温度を上げて縮むのは、到達時間ではなく維持時間のほうです。中心を70℃まで上げれば維持は3分、75℃なら1分で済みます。ただし鶏むね肉では、そこまで上げると食感が壊れます。
| やりたいこと | 湯温を上げると | 実際に効くのは |
|---|---|---|
| 早く中心温度に届かせたい | ほとんど変わらない(68分→70分程度) | 肉を薄く・小さくする |
| 維持時間を短くしたい | 短くなる(30分→3分/1分) | ただし鶏むね肉では食感が犠牲になる |
出典:到達時間は内閣府 食品安全委員会の実測値(鶏ムネ肉 約300g・厚さ約3cm)、維持時間は厚生労働省の公表条件。
手元の肉が300g・厚さ3cmでないとき
実測値があるのは300g・厚さ3cmという1点だけです。手元の肉は、たいていこれと違います。
ここで「厚み1cmにつき何分」という換算式を作りたくなりますが、作れません。同じ300g・厚さ3cmでも、鶏は68分で牛は約94分と、肉の種類で1.4倍違うからです。重さだけでも厚みだけでも決まりません。
できることは2つです。
- 中心温度を測る。 中心温度計を刺し、63℃に届いたことを確認してから30分数えます。到達時間を見積もる必要がなくなるので、これがいちばん確実です
- 肉の側を実測値の条件に合わせる。 厚い塊を勘で延長するより、厚さ3cm程度に切り分けて揃えるほうが確実です
なお、火を止めた湯に浸けておく余熱の使い方は、この条件を満たす手段になりません。食品安全委員会は「余熱を利用するレシピは、肉の内部温度が食中毒を防止できるほどには上がらないので、やめましょう」と書いています。余熱そのものの使いどころは余熱調理にありますが、加熱条件を満たす用途には使えません。
食感の窓は63〜65℃しか残らない
ここまでは安全の話でした。最後に、食感の側から見た上限を足します。この2つが重なる範囲が、実際に選べる設定温度になります。
上限はアクチンの変性(66℃)
肉の食感を決めるのは、2つのタンパク質が固まる温度の差です。ミオシンは50℃前後から変性して肉にほどよい弾力を与えますが、アクチンは66℃から変性しはじめ、筋繊維を強く縮めて抱えていた水分を押し出します。詳しい仕組みはタンパク質の変性にあります。
選べるのは63℃30分か65℃15分
だから鶏むね肉の設定は、実質63℃で30分か、65℃で15分の2択になります。「63℃で2時間やったら食感がゴリっとした」という失敗は、温度ではなく時間の側の問題です。維持時間を超えて延々と加熱を続ければ、63℃でも水分は抜けていきます。
60℃や58℃を勧める解説が多いのは、その温度のほうがしっとり仕上がるからです。ただし63℃未満の温度に対して、日本の公的機関が定めた保持時間は存在しません。何分保てば条件を満たすのかを示す出典が無いということなので、加熱時間を自分で決められないまま使うことになります。使う場合は、公表条件の外に出ているという自覚とセットになります。
食材別の中でのこの記事の立ち位置
低温調理の食材別の記事は、食材ごとに温度を縛っているものが何かで分かれています。この記事が引き受けているのは鶏の部分だけです。
| 食材 | 温度を縛っているもの | 鶏むね肉との違い |
|---|---|---|
| 鶏むね肉(この記事) | 安全条件です。下限の63℃が食感の下限も決めます | — |
| 牛のかたまり | 食感です。表面を処理すれば中心温度を好みで選べます | 鶏は下げられませんが、牛は下げられます |
| 豚 | 安全条件です。63℃30分が下限になります | 下限の値は同じですが、鶏はカンピロバクター、豚は内部汚染と寄生虫が相手です |
| 魚 | 食感です。結合組織が少なく短時間で足ります | 鶏は厚みがあり到達に68分かかりますが、魚は薄く短く済みます |
| 卵 | 白身と黄身で固まる温度が違うことそのものです | 同じ「鶏」でも、筋肉と卵では問いがまったく別になります |
仕上がりの違い。 鶏むね肉は63℃ではほぐれるようなしっとり感が残り、65℃では繊維の存在感が出てきます。この2つが選べる幅の全部で、66℃を越えるとアクチンの変性で急にパサつきます。牛のかたまりのように「もう少し低くしてしっとりさせる」という調整が、鶏むね肉ではできません。
だからどう使うか。 温度で好みを作れないぶん、鶏むね肉では別のところで差をつけます。厚みを揃えて到達時間を読めるようにすること、塩の当て方、加熱後に繊維をどう切るかです。温度から設計する牛のかたまりとは、手の入れどころが違います。
牛・豚・魚・卵それぞれの記事はまだありません。食材ごとの決め方の枠組みは低温調理の食材別の温度と時間にまとまっています。
この記事が答えていないことも書いておきます。なぜ温度と時間が交換できるのかは75℃1分と63℃30分が同等な理由の担当で、この記事はそこで確かめた条件を使う側に回っています。加熱以外の安全条件(加熱していないあいだに菌が増えること、条件を満たしたと確認できるか)は低温調理の安全条件の担当です。鶏肉全般の火入れ(もも肉の扱い、焼く・揚げるときの温度)は鶏肉の火入れにあり、味付けまで含めた1品としての手順は鶏胸肉のハムにあります。
まとめ
鶏むね肉の低温調理は、次の3点で決まります。
- 温度と時間は、中心温度63℃に達してから30分間。 約300g・厚さ約3cmなら到達に平均68分かかるので、総加熱時間は約100分です。65℃なら維持は15分に短くなります
- 秒で書かれた数値はD値で、加熱条件ではありません。 63.3℃でサルモネラ属菌26.05秒というのは菌数を1桁減らす時間です。加熱時間の数値は「何の菌を・何桁減らす・どんな食品の・中心温度に対する条件か」が添えられていなければ使えません
- 選べるのは63〜65℃の3℃幅だけ。 下は安全条件が、上はアクチンの変性(66℃)が閉じています。厚みや重さが動かすのは到達時間だけで、維持時間は動きません
手元の肉が300g・厚さ3cmでないときにやることは、中心温度を測るか、厚さを揃えて切るかの2つです。早見表の分数を覚える必要はありません。
よくある失敗と対策
中が生だった回復できる
- なぜ
- カンピロバクターの熱死滅は中心が63℃に達してから進むため、到達前の時間を数に入れた分だけ菌の減少量が不足しました
- どうする
- 中心温度を測り、63℃に達していなければ湯に戻して到達を待ち、そこから30分数え直します
- 次から
- 総加熱時間を「到達時間+維持時間」で見積もります。300g・厚さ3cmなら63℃の湯で約100分です
パサついた部分的
- なぜ
- 設定温度が66℃を超え、アクチンが変性して筋繊維が縮み、抱えていた水分が押し出されました
- どうする
- 繊維を断つ方向に薄く削ぎ、加熱に使った肉汁やソースに浸して水分を補います
- 次から
- 設定温度を63℃または65℃にします。66℃以上は安全ですが食感の側が壊れます
袋が浮く回復できる
- なぜ
- 袋に残った空気が断熱層になり、浮いた部分では湯から肉への熱伝導が起きていません
- どうする
- 袋を沈め直して空気を抜き、中心温度を測り直してから到達と維持を数え直します
- 次から
- 水圧で空気を押し出してから封をし、重しを載せて全体を沈めます