三杯酢の割合を調べると、資料ごとに違う数値が出てきます。しかもどれも「黄金比」「プロ直伝」と書かれている。
どれかが間違っているわけではありません。条件が違えば比率が変わるのに、その条件が書かれていないだけです。
3つの出所の中での立ち位置:Bの和版、ただし「比率」で持つ
ソースの味の出所は3つに分かれます。まずこの中での居場所を押さえてください。
| 出所 | 何を使うか | できるまで | 作り置き |
|---|---|---|---|
| A 素材の副産物 | 焼いた鍋底の焦げ・煮汁 | 4〜5分 | ✕ その一皿限り |
| B 仕込んだベース | フォン・出汁・母ソース・和のかえし | 前日から | ○ |
| C その場で組む | 調味料・薬味・おろし・ドレッシング | 数十秒 | ✕ 酵素が生きている |
和の合わせ調味料は B(仕込んだベース)に入ります。ただしフランスの母ソースとは持ち方が違います。母ソースが「ベシャメル」「ヴルーテ」といった完成した1つのソースを起点にするのに対し、和は醤油・みりん・酢・砂糖の割合そのものを起点にします。
つまり和は、レシピではなく比率を記憶しています。三杯酢、二杯酢、八方だし、かえし——名前がそのまま構成を示しているのはそのためです。だから「黄金比が資料ごとに違う」という現象が起きる。母ソースなら「違う作り方」は別のソースになりますが、和では同じ名前のまま比率が揺れます(本記事の主題)。
使いどころも変わります。母ソースは仕込んで冷蔵し、そこから展開する。和の合わせ調味料は比率さえ覚えていればその場で作れる——B でありながら、C(その場で組む)に片足を置いています。ここが和のソース観の特徴です。
「黄金比」は1つではない
実際に流通している数値を並べてみます。
| 出典の傾向 | 割合 | 構成 |
|---|---|---|
| 等量で覚える型 | 1:1:1 | 醤油・酢・みりん |
| 砂糖で甘味を取る型 | 2:1:3 | 砂糖・醤油・酢 |
| 同(並べ替え) | 3:1:2 | 酢・醤油・砂糖 |
数字だけ見ると矛盾しているように見えます。けれど甘味をみりんで取るか砂糖で取るかが違うと分かれば、別々の答えである理由が見えてきます。
大事なのは、どれか1つを暗記することではありません。なぜ揺れるのかを知って、自分で決められるようになることです。
揺れる理由は3つある
理由1: 甘味をみりんで取るか砂糖で取るか
みりんは砂糖より甘さが穏やかで、同じ甘さを出そうとすると量が変わります。だから「1:1:1(みりん)」と「3:1:2(砂糖)」は矛盾していません。同じ甘さを別の材料で出しているだけです。
理由2: 用途で酸の強さを変える
酢の物なら酸を立てたい。南蛮漬けなら漬かる時間があるので、酸は控えめでいい。同じ三杯酢という名前でも、何に使うかで比率は動きます。
理由3: だしを入れるかどうか
だしを加えると全体が薄まるので、酢と醤油の比率を上げる必要があります。そしてだしを入れたものは、名前が変わって土佐酢になります。
つまり比率は材料・用途・だしの有無の3変数で決まります。
名前が構成を示している
和の合わせ酢は、名前がそのまま構成要素の数と対応しています。
| 名前 | 構成 | 向く料理 |
|---|---|---|
| 二杯酢 | 酢+醤油(2つ) | 南蛮漬け・魚。酸を立てたいもの |
| 三杯酢 | 酢+醤油+みりん(または砂糖)(3つ) | もずく・わかめ・きゅうり・たこ。甘味とコクを活かすもの |
| 土佐酢 | 三杯酢+かつおだし | 冷菜・刺身。だしの旨味で品よく仕上げたいもの |
基本形に足して派生する体系
二杯酢が最小の形で、そこに甘味を足すと三杯酢、さらにだしを足すと土佐酢になります。
つまり和の合わせ酢は基本形に足して派生する体系です。ただし派生に新しい固有名を与えるのではなく、構成の数をそのまま名前にした。
だしベースの「地」は別系統
この記事が扱ってきたのは酢を軸にした合わせ調味料——かける・和えるためのものです。和食にはもう1系統、だしを軸に煮る・漬けるための合わせ調味液があり、こちらは「地(じ)」と呼ばれます。八方だし(だし8:みりん1:醤油1)を基準に、色をつけたくないなら塩八方、生臭みを抑えたいなら酒八方へと、用途ごとに配合を変える体系です。詳しくは和食の「地」の体系へ。
どちらも「比率で持つ」同じ思想ですが、地は味を食材の中に入れるもの、合わせ酢は外にまとわせるものという違いがあります。
フランスは仕込み、和食は割合
フランスの母ソース体系も、仕込んだものに足して派生させる構造でした。ベシャメルにチーズを足せばモルネー、ヴルーテに生クリームと卵黄を足せばアルマンド。
和食の合わせ酢も同じです。三杯酢にだしを足せば土佐酢。足して派生させる発想は共通しています。
違うのは何を記憶するかです。
| 記憶するもの | 前提 | |
|---|---|---|
| フランス | 母ソースという仕込んだ実体 | フォンがなければ始まらない |
| 和食 | 割合という数字 | 調味料さえあればその場で作れる |
だから和食には「母ソース」に相当する固有名がありません。代わりに比率が名前になっている。二杯酢・三杯酢という名前は、実体ではなく構成を指しています。
この違いは仕込みの重さから来ています。母ソースはフォンの仕込みが前提ですが、合わせ酢は調味料を混ぜるだけ。だから覚えるべきものが実体ではなく数字になったと読めます。
和食にも仕込む系がある
とはいえ和食が全部その場で作るわけではありません。仕込んで使い回す調味ベースもあります。
| 何をするか | 使いどころ | |
|---|---|---|
| かえし | 醤油・みりん・砂糖を合わせて寝かせる | 麺つゆ・煮物のベース |
| 煮切り醤油 | 醤油を加熱して角を取り、香りを立てる | 刺身・和え物 |
この2つはその場では作れません。寝かせる時間や加熱の工程が要る。だから合わせ酢とは性格が違い、仕込んで使い回す側にあります。
つまり和食の中に、ソースの2つの出所——仕込む系とその場で合わせる系——が併存しています。フランス料理と同じ構造です。
あんは合わせ調味料にとろみを足したもの
あんかけの「あん」も、この体系の中に置けます。
だし(または鶏がらスープ)+ 調味(醤油・みりん・酢など)+ 水溶き片栗粉
つまり味の設計は合わせ調味料と同じで、濃度機構が加わっただけです。甘酢あんなら甘酢にでんぷん、黒酢あんなら黒酢の合わせにでんぷん。
とろみの付け方そのものはでんぷんで濃度をつけるととろみの科学で扱っています。
あんが冷めると固くなるのはデンプンの老化です。だから作り置きに向かず、直前に作ります。
まとめ:基準を1つ持って調整する
- 三杯酢の「黄金比」は1つではない。材料(みりんか砂糖か)・用途・だしの有無で変わる
- 覚えるなら 醤油:酢:みりん=1:1:1 を基準にし、甘くしたいならみりん、酸を立てたいなら酢を増やす
- 名前が構成と対応している。二杯酢=2つ、三杯酢=3つ、土佐酢=三杯酢+だし。足して派生する体系になっている
- フランスは仕込んだ実体を記憶し、和食は割合という数字を記憶する。だから和食には母ソースに相当する固有名がない
- 和食にも仕込む系(かえし・煮切り醤油)とその場で合わせる系(合わせ酢)が併存している