低温調理の真空パックはなぜ危険か|酸素を抜くと相手が入れ替わる

低温調理の真空パックはなぜ危険か|酸素を抜くと相手が入れ替わる

この記事でわかること

  • 真空パックがしているのは、袋の中の酸素を抜くことだけだと分かる
  • 酸素を抜くと好気性の腐敗菌には不利、偏性嫌気性のボツリヌスには有利になると分かる
  • 低温調理が嫌気・低温・長時間という非たん白分解性Ⅱ群の増殖条件をそろえてしまうと分かる
  • 冷蔵・見た目・匂いを安全の保証にできない理由が分かる

低温調理では、肉を袋に入れて空気を抜き、湯に沈めます。真空にすれば空気に触れないから日持ちして安全——そう思って袋に詰めている人は多いはずです。ところが食品衛生の資料を開くと「真空パックはボツリヌス食中毒に危険」と書いてあります。酸素を抜くと安全なのか、危険なのか、どちらが本当なのかが分からなくなります。

答えは「どちらも本当」です。真空パックという操作がしているのは、突き詰めれば袋の中の酸素を抜くことだけです。その1つの操作が、菌に対しては相反する2つの働きをします。この記事では、真空にすることが安全に何をしているのかを、酸素を抜くと相手が入れ替わること、低温調理がその相手の増殖条件をそろえてしまうこと、だから手当てが変わること、の順に分けて見ていきます。

この記事が扱うのは、低温調理の安全のうち「包装という操作が気体の条件に何をするか」です。加熱で処理できない相手そのものの分類(芽胞・毒素・寄生虫・ウイルス)は加熱しても死なない相手、菌が増える温度帯と滞在時間は危険温度帯は何℃か、加熱後の冷却・保存・再加熱の手順は低温調理の仕上げと保存が持ちます。ここでは酸素という1つの軸だけを引き受けます。

真空パックがしているのは「酸素を抜く」ことだけ

酸素を抜くと安全そうに見える

真空パックの働きを分解すると、袋の中の酸素を抜くことに尽きます。酸素が減ると、食材の酸化(脂の酸敗や変色)が遅くなり、酸素を使って増える菌も増えにくくなります。冷凍焼けを防ぎ、調味液を身に密着させ、湯の熱を効率よく伝えるといった低温調理上の利点もありますが、安全という面で効いているのは「酸素を減らす」の一点です。

ここまでは読者の直感どおりです。酸素を抜けば日持ちする、という感覚は半分正しい。問題は、残りの半分です。

酸素のあるなしで、増える菌が分かれる

菌は酸素との付き合い方で性質が分かれます。酸素を使って増える菌、酸素があってもなくても増える菌、そして酸素があると増えられない菌です。真空パックはこの地図の上で、増える菌を別の種類に入れ替えます。次の節で、その入れ替えの中身を見ます。

酸素を抜くと、相手が入れ替わる

好気性の腐敗菌には不利になる

食品をだめにする腐敗菌や、ふだん食材についている一般的な菌の多くは、酸素があるとよく増えます(好気性・通性嫌気性)。真空パックで酸素を抜くと、これらは増えにくくなります。食品が日持ちするように見えるのは、この働きです。酸素を抜く操作は、たしかにこの側の菌を抑えています。

偏性嫌気性のボツリヌスには有利になる

ところが、酸素があると増えられない菌がいます。ボツリヌス菌です。食品安全委員会はボツリヌス菌を「芽胞(がほう)を形成する偏性嫌気性の桿菌(かんきん)」と説明し、偏性嫌気性菌を「酸素があると増殖できない(酸素に対して感受性を有する)細長い形の細菌」と定義しています。つまりボツリヌス菌は、酸素のある普通の環境ではそもそも増えられない菌です。

真空パックで酸素を抜くことは、この菌にとっては抑えが外れることを意味します。食品安全委員会は「ボツリヌス菌の芽胞は、低酸素状態に置かれると発芽・増殖が起こり、毒素が産生されます」と明記しています。酸素を抜くという同じ1つの操作が、好気性の腐敗菌を抑える一方で、ボツリヌス菌の発芽スイッチを入れます。これが「相手が入れ替わる」の中身です。

菌のタイプ酸素があるとき酸素がないとき(真空パック)
好気性菌(多くの腐敗菌)よく増える増えにくい
通性嫌気性菌増える増える(勢いは落ちる)
偏性嫌気性菌(ボツリヌス菌)増えられない増えられる

出典: 食品安全委員会ファクトシート「ボツリヌス症」(偏性嫌気性菌の定義・低酸素状態での発芽増殖について)

真空パックは、この表のいちばん下の行を「増えられない」から「増えられる」へ反転させる操作です。好気性菌を抑えることと、偏性嫌気性菌の抑えを外すことは、同じ脱酸素の裏表です。

腐敗のサインが消える

酸素を抜くことには、見落とされがちな副作用があります。好気性の腐敗菌は、増えると匂い・ネト・変色といった「だめになった合図」を出します。真空パックでこの腐敗菌を抑えると、合図が出ないまま、酸素を嫌う菌だけが静かに進むことがあります。

とくにこの記事で問題にしているボツリヌス菌のうち、後で述べる非たん白分解性のⅡ群は、たん白質を分解しないため、強い腐敗臭や袋の膨張を起こしにくいという性質があります。つまり、見た目や匂いが正常でも毒素ができている状態がありえます。真空パックは日持ちを長く見せる一方で、「危ないかどうかを鼻と目で確かめる」というふだんの手段を効きにくくします。

低温調理はⅡ群(非たん白分解性)の条件をそろえてしまう

真空パックが酸素を抜くだけなら、話は「ボツリヌスに有利な条件が1つ加わった」で終わります。やっかいなのは、低温調理がこれに低温と長時間を足して、増殖条件をそろえてしまうことです。

ボツリヌス菌には2つの顔がある

ボツリヌス菌は、性質の違いでいくつかの群に分かれます。低温調理で関係するのは、たん白質を分解するⅠ群と、分解しないⅡ群の2つです。この2つは、芽胞の熱への強さと、増え始める温度がはっきり違います。

群主な毒素型芽胞が死ぬ加熱条件増え始める最低温度増殖できる最低pH
Ⅰ群(たん白分解性)A・B・F型120℃で4分10℃4.6
Ⅱ群(非たん白分解性)B・E・F型80℃で6分3℃4.8

出典: 食品安全委員会ファクトシート「ボツリヌス症」群別の性状表(毒素型・芽胞の耐熱性・最低発育温度・増殖の最低pH)

低温調理で効いてしまうのはⅡ群

この表を低温調理の設定に当てると、問題になるのはⅡ群だと分かります。理由は2つあります。

1つめは、増え始める最低温度が3℃だということです。家庭の冷蔵室は4〜10℃ほどで、ドアの開閉でさらに上がりやすい温度帯です。Ⅱ群はこの温度でも増えられるので、冷蔵庫に入れておけば止まる、とは言えません。

2つめは、芽胞が80℃で6分という耐熱性を持つことです。低温調理の湯温は食材にもよりますが55〜63℃前後で、芽胞を殺す条件には届きません。加熱しても芽胞は手つかずで残ります。実際、日本のボツリヌス食中毒は1951年から2012年4月までの120事例のうち102事例がE型菌(Ⅱ群に含まれる)によるものでした。酸素のない食品が原因になりやすく、原因食品には自家製のいずし(E型)のほか、真空包装された辛子れんこん(A型)も挙がっています。

嫌気・低温・長時間が同時にそろう

低温調理は、Ⅱ群が増えるのに必要な条件を3つとも用意してしまいます。

  • 嫌気——真空パックで酸素がない。
  • 低温——湯温が低くて芽胞を殺せないうえ、加熱後に冷蔵で長く置く。
  • 長時間——低温調理そのものが数時間、作り置きの保存を足せば数日に及ぶ。

この3つがそろうと、芽胞が発芽し、増えて、毒素を作るまでの時間ができてしまいます。しかもその毒素は、低温調理の仕上げの温度では壊せません。食品安全委員会によればボツリヌス毒素は易熱性で、80℃で20分または100℃で1〜2分の加熱で不活化しますが、55〜63℃の仕上げではこの条件に届かないからです。芽胞と毒素で熱への強さが逆になるという込み入った話は加熱しても死なない相手に譲りますが、要点は、真空+低温+長時間が「芽胞は殺せないのに増殖は許す」という組み合わせになっている点です。

だから真空パックで変わる手当て

真空パックを使う以上、酸素を抜いたことで変わる危険に合わせて、手の打ち方も変わります。ここでは酸素の側から見える3つの方針までを示します。温度帯ごとの滞在時間や冷却の分数は危険温度帯は何℃か、加熱後の保存・再加熱の手順は低温調理の仕上げと保存が数値で持っています。

冷蔵を安全の保証にしない

真空パックしたものを冷蔵するのは正しいのですが、冷蔵は増殖を遅らせる操作であって、止める操作ではありません。Ⅱ群は3℃から増えるので、冷蔵庫の中でも時間をかければ増えられます。市販の容器包装詰低酸性食品(pHが4.6を超え、水分活性が0.94を超える食品)に「要冷蔵」「10℃以下で保存してください」と表示されるのは、冷蔵だけでは安全を保証できないからです。家庭で作った低温調理品も、同じ前提で扱います。

見た目と匂いで判断しない

袋が膨らんでいたり異臭がしたりすれば食べない、というのは原則として正しい見分け方です。ただしⅡ群はたん白質を分解しないので、膨張や腐敗臭が出にくいという弱点があります。だから「膨らんでいない・匂いも普通」を安全の証拠にはできません。見た目と匂いは最後の防波堤であって、一次的なよりどころにはしない、と考えるのが安全です。

増やす時間を与えない

芽胞は低温調理では殺せないので、残る手は「増やさない」だけです。真空のまま冷蔵で長く置く組み合わせが、いちばん危険です。酸素のない状態を保ったまま、増殖できる温度帯に長い時間を与えることになるからです。早く食べきる、長く置かない、保存するなら凍結する、のいずれかに寄せます。冷凍は殺菌ではありませんが、増殖は止められます。

低温調理の安全条件の中でのこの記事の立ち位置

この記事は、低温調理の安全を扱う記事群のなかで、真空という操作が気体(酸素)の条件に何をするかを引き受けています。兄弟記事との違いを、答える問いで整理すると次のようになります。

記事問い扱う側
本記事(真空パックと嫌気)真空にすると菌に対して何が変わるか酸素の側
危険温度帯は何℃か菌が増える温度帯はどこで、何分で抜けるか温度の側
75℃1分と63℃30分が同等な理由加熱で減らせる菌を何℃で何分減らすか殺す側
加熱しても死なない相手加熱で処理できない相手は何か相手の側
低温調理は温度計なしで成り立たない条件を満たしたと確認できるか測定の側

親記事低温調理の安全は温度と時間だけでは決まらないが立てた「増やさない」条件に、この記事は酸素という軸を1本足します。温度と時間だけでなく、袋の中に酸素があるかないかも増殖を左右する、という視点です。殺菌条件の一覧も、温度帯の数値も、相手ごとの手当ての一覧もここでは繰り返さず、それぞれの兄弟記事に渡します。この記事の持ち場は、酸素という1つの軸だけです。

まとめ

真空パックがしているのは、袋の中の酸素を抜くことだけです。それは好気性の腐敗菌には不利に、偏性嫌気性のボツリヌス菌には有利に働きます。同じ1つの操作が、増える相手を入れ替えます。

低温調理は、この入れ替えに低温と長時間を足して、非たん白分解性のⅡ群が増える条件を嫌気・低温・長時間の3つともそろえてしまいます。Ⅱ群は3℃から増え、芽胞は低温調理の湯温では死なず、できた毒素も仕上げの温度では壊せません。

だから「真空にしたから安全」とは言えません。冷蔵を安全の保証にせず、見た目と匂いを一次的なよりどころにせず、増やす時間を与えないこと。芽胞は殺せない以上、増やさないことだけが残ります。真空パックは便利な道具ですが、酸素を抜いた瞬間に相手が入れ替わっていることを忘れないでください。