この記事でわかること
- 「同等」が菌をゼロにすることではなく、同じ桁まで減らすことだと分かる
- D値とZ値が何を測った値で、温度と時間をどう結んでいるのかが分かる
- 63℃30分と75℃1分がZ値8℃で一致することを、自分で検算できるようになる
- 公表された同等条件が単一の式から出ていないため、条件を自作してはいけないと判断できる
低温調理の解説には、性格の違う2つの数値が並んで出てきます。「75℃で1分」と「63℃で30分」です。片方は12℃高くて30分の1の時間、それでも同じ安全性だとされます。
この記事は、その「同じ」が何を指しているのか、そしてなぜ温度を下げた分を時間で埋められるのかを、D値とZ値という2つの指標から説明します。最後に、公表されている同等条件を実際に検算して、式から自分の条件を作ってはいけない理由まで示します。
温度と時間の数え始め(中心温度が設定温度に届いてから数える)や、加熱以外の条件については低温調理の安全条件が扱っているので、ここでは繰り返しません。
「同じ安全性」とは何が同じなのか
2つの条件は別々の規定から来ている
まず押さえておきたいのは、この2つが同じ文書に並んでいる数値ではないことです。
| 加熱条件 | 出どころ | どんな場面の条件か |
|---|---|---|
| 中心部 75℃で1分間 | 厚生労働省「食肉の加熱条件に関するQ&A」/「大量調理施設衛生管理マニュアル」II-2 | 食肉による食中毒防止のための加熱条件。マニュアルは「75℃で1分間以上又はこれと同等以上」と書く |
| 中心部 63℃で30分間以上 | 厚生労働省「豚の食肉の基準に関するQ&A」(食安基発0602第3号・平成27年6月2日) | 豚の食肉を調理して直接消費者に販売するときの基準。「これと同等以上の殺菌効果がある方法」でもよい |
出典:厚生労働省「食肉の加熱条件に関するQ&A」、同「豚の食肉の基準に関するQ&A」、同「大量調理施設衛生管理マニュアル」。いずれも食材の中心部の温度であり、湯の温度ではありません。
別々の規定なのに同じ扱いになるのは、国がこの2つを明文で結んでいるからです。豚の食肉の基準に関するQ&Aの Q4 はこう答えています。
63℃で30分間以上加熱するかこれと同等以上の殺菌効果を有する方法とは、加熱温度が高くなれば加熱時間が短くなることから、例えば、75℃1分間以上の加熱でも差し支えありません。
理由として書かれているのは「加熱温度が高くなれば加熱時間が短くなることから」の一句だけです。なぜ12℃の差が30倍の時間差になるのかは、この文書には書かれていません。
同じなのは「菌をどこまで減らすか」
ここで「同等」が何を意味しているかを先に決めておきます。同等なのは、加熱が終わったときに菌がどこまで減っているかです。菌がゼロになることではありません。
到達点の桁は公開されています。食品安全委員会は、加熱調理による殺菌では1/10⁶〜10⁷(6D〜7D)が条件に設定されると示しています(ボツリヌス菌を対象とする場合は12D)。100万分の1から1000万分の1まで減らす、という線引きです。
出典:内閣府 食品安全委員会「食中毒菌の科学的基礎データ」図「殺菌条件を決めるD値(分)とは」。
この桁が分かると、「30分は長すぎないか」という問いの形が変わります。長いか短いかではなく、同じ到達点に別の道筋で届いているかという問いになるからです。
温度と時間が交換できる仕組み|D値とZ値
D値|菌数を10分の1にする時間
菌は「ある温度を超えたら全滅する」という死に方をしません。同じ温度に置かれているあいだ、一定の割合ずつ減っていきます。この減り方の速さを表すのがD値です。
食品安全委員会の用語集は、D値をこう定義しています。
ある一定条件(温度等)において、特定の微生物の生残菌数を1/10に減少させるために要する加熱時間。微生物の熱抵抗性の指標になる。
つまり、D値が3分の条件なら、3分で10分の1、6分で100分の1、9分で1000分の1になります。縦軸を対数にしたグラフでは、この減り方がまっすぐな直線になります。
D値は温度ごとに決まる値で、しかも菌の種類・水分活性・pHで変わります。菌によって熱への強さが違うことは、公的な資料の数値にも表れています。腸炎ビブリオは60℃で10分間の加熱で殺菌されるのに対し、腸管出血性大腸菌には75℃で1分以上の加熱が対策として示されています。
出典:内閣府 食品安全委員会「食品の安全性に関する用語集(生物系分野)」各菌の項。
Z値|D値を10分の1にする温度の上げ幅
D値だけでは、温度を変えたときにどうなるかが分かりません。そこをつなぐのがZ値です。同じ用語集の定義はこうです。
加熱時間であるD値を1/10に短縮させるための温度の上昇分。
同委員会は図の中で、これを料理の側から言い直しています。「殺菌温度をZ℃下げると所要加熱時間は10倍になる」。その直後に「<低温調理は長時間加熱>」と添えられています。低温調理が長時間加熱になる理由は、この一行に尽きます。
Z値も菌種・環境で変わる値で、同委員会は「菌種・環境によって異なるが5〜8℃になる場合が多い」としています。
出典:内閣府 食品安全委員会「食中毒菌の科学的基礎データ」図「Z値(℃)について」、同「食品の安全性に関する用語集(生物系分野)」。
2つを式にするとどうなるか
D値とZ値の定義をそのまま式にすると、温度と時間の交換は次の1行になります。
求める時間 = 基準の時間 × 10 の ((基準の温度 − 求める温度) ÷ Z値) 乗
入るのは分と℃だけです。「温度がZ℃下がるごとに時間が10倍」を、途中の温度でも計算できるようにしただけの式だと考えてください。
63℃30分と75℃1分を検算する
Z値を8℃として計算すると57秒になる
ここまでの式で、実際に2つの条件を突き合わせてみます。
63℃と75℃の差は12℃です。Z値を8℃とすると、12 ÷ 8 = 1.5 なので、時間は 10 の1.5乗=約31.6倍短くなります。
30分 ÷ 31.6 = 0.95分。秒に直すと57秒です。切り上げれば1分になります。
つまり「63℃30分と75℃1分は同等」は、大づかみな言い方ではなく、数が合っています。
食品安全委員会が同じ答えを図に書いている
この計算は自分で確かめられますが、結論そのものも公開されています。食品安全委員会の図「Z値(℃)について」には、こう書かれています。
63℃30分と同等な条件が75℃1分(Z値が8℃の場合)
かっこの中の「Z値が8℃の場合」が重要です。Z値をいくつに取るかで答えが変わるという、条件付きの一致だと明示されています。同じ図には、出典として Standardising D and Z values for cooking raw meat, Final Report, MPI Technical Paper No: 2016/05 が記載されています。
出典:内閣府 食品安全委員会「食中毒菌の科学的基礎データ」図「Z値(℃)について」。
ただし公的な同等条件は1本の曲線から出ていない
ここからがこの記事の本題です。「D値とZ値で1本の曲線になる」という説明は、原理としては正しいのですが、公表されている条件がその曲線から機械的に出ているわけではありません。
6つの同等条件をZ値に逆算すると揃わない
厚生労働省の「食肉の加熱条件に関するQ&A」は、75℃1分と同等な条件として6つを挙げています(条件の一覧そのものは低温調理とはにあります)。この6つと63℃30分を、75℃1分を基準にしてZ値の側へ逆算すると、次のようになります。
| 公表されている加熱条件(中心温度・時間) | 75℃1分との温度差(℃) | 加熱時間の比(倍) | 逆算したZ値(℃) |
|---|---|---|---|
| 70℃・3分間 | 5 | 3 | 10.5 |
| 69℃・4分間 | 6 | 4 | 10.0 |
| 68℃・5分間 | 7 | 5 | 10.0 |
| 67℃・8分間 | 8 | 8 | 8.9 |
| 66℃・11分間 | 9 | 11 | 8.6 |
| 65℃・15分間 | 10 | 15 | 8.5 |
| 63℃・30分間 | 12 | 30 | 8.1 |
出典:加熱条件は厚生労働省「食肉の加熱条件に関するQ&A」(70℃3分〜65℃15分)と同「豚の食肉の基準に関するQ&A」(63℃30分)。Z値の列は公表された温度と時間から逆算した計算値で、公的に示された数値ではありません(温度差 ÷ 加熱時間の比の常用対数)。
63℃30分の行だけがZ値8.1℃で、食品安全委員会の言う「Z値が8℃の場合」とほぼ一致します。ところが残りの6つは8.5〜10.5℃に散ります。表の内側だけを見ても、65℃15分と70℃3分のあいだはZ値7.2℃、70℃3分と75℃1分のあいだはZ値10.5℃で、一貫していません。
公表値が整数の分に丸められていることを考えても、この開き方は丸めでは説明がつきません。Z値を8℃に固定して75℃1分から計算すると、70℃は4.2分、67℃は10.0分になり、公表されている3分・8分とは分の単位で違ってしまいます。単一のZ値から計算して並べた数列ではないということです。
計算値と公表値がずれる向きは一定ではない
ずれの向きもそろっていません。63℃30分を基準にして、Z値8℃で70℃まで縮めると4.0分になります。しかし公表されている同等条件は3分です。
逆に言えば、自分でZ値を大きめに見積もって計算すると、公表されている条件より短い時間が出てしまう温度帯があります。安全側に立っているつもりの計算が、実際には基準より緩い条件を作ることが起こりえます。
厚生労働省のQ&A自体、6つの条件について「妥当と考えられます」と書くだけで、Z値も対象菌も示していません。計算を再現するために必要な前提が公開されていないのですから、同じ式で他の温度へ外挿する根拠もありません。
だから条件は選ぶもので、作るものではない
ここから持ち帰る判断は1つです。
自分で計算した加熱条件を使わず、公表されている組み合わせから選びます。 D値とZ値は、なぜ温度と時間が交換できるのかを理解するための道具であって、新しい条件を作るための道具ではありません。
設定したい温度が公表条件の表に無いなら、条件の側を動かすのではなく、表にある温度のうち自分の狙いに近いものへ設定を寄せます。65℃15分と66℃11分のあいだの温度を使いたくなったら、低いほうの条件(より長い時間)を選べば、公表された条件を満たした状態になります。
この曲線に乗らないもの
温度と時間の交換が成り立つのは、加熱で死ぬ菌が相手のときだけです。次の3つは、料理の温度帯ではこの曲線の外にあります。
| 曲線に乗らないもの | 公的資料に書かれている耐熱性 | 加熱を延ばすとどうなるか |
|---|---|---|
| 黄色ブドウ球菌の毒素(エンテロトキシン) | 菌は75℃・1分以上の加熱で殺菌されるが、毒素は加熱調理により分解されにくい | 菌は消えるが毒素は残る。時間を延ばしても解決しない |
| ウエルシュ菌の耐熱性芽胞 | 100℃・1〜6時間の加熱に耐える | 料理の温度帯では減らせない。増やさない側で対処する |
| セレウス菌の芽胞とおう吐毒 | 芽胞は100℃・30分の加熱でも死滅せず、おう吐毒セレウリドは126℃・90分の加熱でも失活しない | 同上。加熱条件の設計では片付かない |
出典:内閣府 食品安全委員会「食品の安全性に関する用語集(生物系分野)」各菌の項。芽胞とは、一部の菌が増殖に適さない環境で菌体内に作る、熱や乾燥に強い構造のこと。
この3つがあるために、加熱条件とは別に「増やさない条件」が要ります。その中身は低温調理の安全条件が扱っているので、ここでは繰り返しません。
低温調理の安全条件の中でのこの記事の立ち位置
低温調理の安全は、独立した3つの条件の積で決まります。この記事が引き受けているのは、そのうち1つめの中身だけです。
| 問い | 何に答えるか | この記事との関係 |
|---|---|---|
| 何度で何分なら同じだけ菌が減るのか | 殺す条件の中身(温度と時間の等価) | この記事 |
| 菌が増える温度帯はどこからどこまでか | 増やさない条件(加熱していないあいだに何が起きるか) | 別の問い。加熱の側ではなく放置の側を見る |
| 条件を満たしたとどうやって判定するのか | 確認できる条件(中心温度を測れない状況で何ができるか) | 別の問い。条件の中身ではなく、満たした証拠の話 |
3つの条件の関係そのものは低温調理の安全条件にあります。増やさない条件と確認できる条件はまだ記事になっていないので、いまは同記事の出典一覧にある一次資料を直接あたってください。
この記事が答えていないことも書いておきます。時間の数え始め(中心温度が設定温度に届いてから数える)は親記事の担当で、この記事の表にある「分」はすべて到達後の維持時間です。食材ごとにどの条件を選ぶかは低温調理の食材別の温度と時間の担当で、豚肉に限った実装は豚肉の火入れが扱っています。仕上がりの色が条件を満たした証拠にならない理由は肉の色と安全にあります。
まとめ
75℃1分と63℃30分が同等とされる理由は、次の3段で説明がつきます。
- 「同等」は菌をゼロにすることではありません。 同じ桁まで減らすことです。加熱調理による殺菌では、100万分の1から1000万分の1(6D〜7D)が条件として設定されます
- D値とZ値が、温度と時間を結んでいます。 D値は菌数を10分の1にする時間、Z値はそのD値を10分の1にする温度の上げ幅です。63℃と75℃の差12℃をZ値8℃で換算すると30分は0.95分になり、食品安全委員会も「63℃30分と同等な条件が75℃1分(Z値が8℃の場合)」と図に明記しています
- ただし公表条件は単一の式から出た数列ではありません。 75℃1分の同等条件6つをZ値に逆算すると8.5〜10.5℃に散ります。だから式は理解のために使い、条件そのものは公表された組み合わせから選びます
温度を何℃にするかは選べます。その温度に対する時間を自分で計算してよいかどうかは、選べません。