この記事でわかること
- 牛の塊肉の中心温度と時間には、日本で公表された9段階の表があること
- 温度の条件が中心と表面で2本に分かれるのは牛だけであること
- 挽く・刺す・漬け込むと、その2本立てが使えなくなる理由
- 4時間という時間が安全ではなく食感のためのものであること
低温調理のローストビーフを調べると、52℃で2時間、57℃で4時間15分、58℃で3時間、60℃で2時間と、解説ごとに違う設定が出てきます。しかも、その根拠を書いているページがほとんどありません。ある解説は「何度も作ってみて一番おいしくて安全だった」と書き、別の解説は「科学的根拠はありません」と自分から断っています。
先に答えを書きます。牛の塊肉を何℃で何分加熱すれば殺菌したと言えるのかについて、日本には公表された表があります。 食品、添加物等の規格基準(昭和34年厚生省告示第370号)の中で、ローストビーフが分類される特定加熱食肉製品の製造基準に、中心部の温度と時間の組み合わせが9段階で書かれています。
そして、この記事のもうひとつの主題はここからです。牛だけは、温度の条件が中心と表面で2本に分かれます。 中心の9段階の表とは別に、表面には「深さ1cm以上の部分までを60℃で2分間以上」という数値が、別の規格基準に公表されています。ローストビーフの設定が難しいのは、この2本を1本の数字で言おうとするからです。
ローストビーフの中心温度は55〜63℃の9段階で公表されている
答え|中心55℃なら97分、63℃なら瞬時
告示の製造基準は、中心部の温度の区分ごとに必要な時間を表で示しています。
| 製品の中心部の温度(℃) | 必要な加熱時間 |
|---|---|
| 55 | 97分 |
| 56 | 64分 |
| 57 | 43分 |
| 58 | 28分 |
| 59 | 19分 |
| 60 | 12分 |
| 61 | 9分 |
| 62 | 6分 |
| 63 | 瞬時 |
出典:厚生労働省「食品、添加物等の規格基準(昭和34年厚生省告示第370号)」食肉製品の製造基準 3.特定加熱食肉製品 g(原文は第1欄に温度、第2欄に時間を掲げる形式)。これは営業許可を持つ製造者が守る製造基準であり、家庭の調理を縛る規定ではありません。 ただし、牛の塊肉について「何℃で何分なら殺菌したと言えるか」を日本の公的機関が数表で示しているのは、いまのところここだけです。原文の温度表記は「55°」のように度記号のみですが、摂氏です。
温度が1℃上がるごとに時間が大きく縮む形になっています。55℃と63℃のあいだは8℃しか離れていないのに、時間は97分から瞬時まで変わります。
この時間をどこから数えるか
告示は「製品は、肉塊のままで、その中心部を次の表の第1欄に掲げる温度の区分に応じ、同表の第2欄に掲げる時間加熱し」としか書いておらず、中心がその温度に達してから数えるのか、湯に入れてから数えるのかを明示していません。
判断の手がかりになるのは、同じ告示の加熱食肉製品の基準です。こちらは「その中心部の温度を63℃で30分間加熱する方法又はこれと同等以上の効力を有する方法」と書かれていて、この63℃30分について食品安全委員会は「63℃加熱なら肉の内部温度が63℃になってから、さらに30分間の加熱を維持する必要があります」と説明しています。同じ読み方を当てるなら、中心がその温度に達してから数えることになります。 数え始めをどこに置くかという論点そのものは低温調理の安全条件が扱っています。
レシピの52〜60℃はこの表とどう違うか
代表的なレシピの設定を、この表と並べてみます。
| 出どころ | 設定 | 表との関係 |
|---|---|---|
| 大手低温調理器メーカーのレシピ | 湯温57℃・4時間15分(厚さ4cm) | 57℃は表にある行。ただし表の43分は中心部の温度に対する時間で、4時間15分は湯に入れている総時間。同じ57℃でも指しているものが違う |
| 個人ブログ(自己検証) | 湯温60℃・2時間 | 60℃も表にある行(12分)。総時間との差は同じ構造 |
| 料理教室系サイト | 中心52℃・2時間 | 52℃は表の外。この温度に対応する時間は公表されていない |
出典:設定値は2026年9月時点の各ページの記載、表の値は前掲の告示。湯の温度と中心部の温度は別の量です。
つまり、レシピの数字と告示の数字は矛盾しているのではありません。測っているものが違います。 レシピの「4時間15分」は袋を湯に入れている総時間で、告示の「43分」は中心部が57℃になっている時間です。総時間から到達時間を引いた残りが、告示と比べるべき時間になります。
52℃だけは事情が違います。表の下端は55℃で、それより低い温度に対応する時間は公表されていません。 何分保てば条件を満たすのかを示す出典が無いということなので、加熱時間を自分で決められないまま使うことになります。公表された組み合わせの外側に出るときに何が言えなくなるのかは、75℃1分と63℃30分が同等な理由で確かめたとおりです。
表の外側に4つの条件が付いている
温度と時間だけを写すと、この基準は成り立ちません。同じ製造基準には、温度の表以外に4つの条件が並んでいます。
肉塊のままであること
告示は「製品は、肉塊のままで、その中心部を…加熱し」と書いています。肉塊は規格基準で「食肉の単一の塊」と定義されており、原料食肉も「と殺後24時間以内に4℃以下に冷却し、かつ、冷却後4℃以下で保存した肉塊でpHが6.0以下」でなければなりません。
挽いたもの、複数の肉を貼り合わせたもの、針を刺して筋を切ったものは、この条件から外れます。
調味料等は表面にのみ塗布すること
「製造に調味料等を使用する場合には、食肉の表面にのみ塗布しなければならない」。これは、いわゆる漬け込み(マリネ)がこの基準の想定に入っていないということです。
公益財団法人 食の安全・安心財団はこの条項について、「特定加熱食肉製品は、中心部が低温で調理されることから、製造基準は、衛生管理上から原料肉を肉塊に限定するとともに調味料等も表面のみの塗布しか認めていません」と説明しています。中心部を弱い加熱で済ませる以上、中心に何かを入れる操作は認めない、という組み立てです。
中心部が35℃以上52℃未満の状態の時間を170分以内にすること
同じ条項の後半に、こう書かれています。「この場合において、製品の中心部の温度が35℃以上52℃未満の状態の時間を170分以内としなければならない」。
低温調理では、中心が設定温度に届くまでのあいだ、この帯をゆっくり通過します。牛モモ300g・厚さ3cmで到達に約94分かかることを考えると、170分という上限は「余裕がある数字」ではありません。菌が増えられる温度帯そのものの話は危険温度帯は何℃かが扱っています。ここで押さえるのは、この基準が温度だけでなく、帯の滞在時間にも上限を置いているということです。
加熱後の冷却も条件に入っていること
「加熱殺菌後の冷却は、衛生的な場所において十分行わなければならない。この場合において、製品の中心部の温度が25℃以上55℃未満の状態の時間を200分以内としなければならない」。
加熱が終わった時点では条件は閉じていません。降りてくる側にも時間の上限があります。
「表面を焼けば安全」にも数値がある
牛の塊肉は「菌が主に表面にいるから、表面を処理すれば中心は食感で選べる」と説明されます。低温調理の食材別の温度と時間でもその形で整理しました。では、表面を処理するとは、深さ何ミリまでを何℃で何分やることなのでしょうか。
表面から深さ1cm以上を60℃で2分以上
生食用食肉(牛肉)の規格基準(平成23年10月1日施行)の加工基準に、その数値があります。
肉塊の表面から深さ1cm以上の部分までを60℃で2分間以上加熱する方法又はこれと同等以上の効果を有する方法で加熱殺菌しなければならない
出典:厚生労働省「生食用食肉(牛肉)の規格基準設定に関するQ&A」(平成23年9月28日)Q2。この規格基準は、平成23年4月に発生した飲食チェーン店での腸管出血性大腸菌による食中毒事件(5名が死亡)を受けて、罰則を伴う強制力のあるものとして策定されました。対象はユッケ・タルタルステーキ・牛刺し・牛タタキなど、生食用食肉として販売される牛の食肉(内臓を除く)です。
なぜ「表面」ではなく「深さ1cm」なのか
同じQ&Aは、この基準を作るときに行った試験の知見を3つ挙げています。
| 牛肉の菌について分かったこと | 厚生労働省のQ&Aに書かれている内容 |
|---|---|
| 菌が深部へ移る条件 | 牛のとさつ・解体後、熟成が進むにつれ腸管出血性大腸菌がより深部に浸潤する |
| 菌が1cmに達するまでの時間 | 菌体の生肉への接種から1時間後、肉塊の表面から1cmの部分から菌体が検出された |
| 深さ1cmを60℃2分で処理したときの効果 | 肉塊表面の0.5から1cm以上の部分までを60℃で2分間加熱することにより、菌数を1万分の1以下に低減することが期待できる |
出典:厚生労働省「生食用食肉(牛肉)の規格基準設定に関するQ&A」(平成23年9月28日)Q4。同Q&Aは、従来のトリミング処理(表面を削り取る処理)について「肉塊表面が菌に汚染されていた場合に、菌の汚染を拡散させる可能性が指摘されています」として、規格基準には採用しなかったと述べています。
「菌は表面にいる」の「表面」は、幾何学的な面ではありません。 厚みを持った層で、1時間あれば1cmまで入ります。だから条件も、面ではなく深さで書かれています。
なお、この条件を実際に満たした例も公表されています。250〜300gの肉塊(とさつ4日以内のしんたま又はうちもも部分の直立体)を、約10Lの温湯(85℃)で10分間加熱してから氷冷する方法です。85℃の湯に10分という、低温調理とはまったく別の強さの加熱であることに注意してください。
家庭のフライパンの焼き目は、この条件を測っていない
ここが実務上いちばん重要な点です。フライパンで表面に焼き色を付ける操作は、深さ1cmの温度を測っていません。 強い火で短く焼けば、色は付いても1cm内側は60℃に届きません。弱い火で長く焼けば1cmに届くかもしれませんが、その時点で中心の温度も上がってしまいます。
つまり、焼き目は香ばしさの工程であって、条件を満たした証拠にはなりません。焼き目そのものの技術は焼き目と炙りの技術にあります。ここで確認するのは、焼いたかどうかと、条件を満たしたかどうかが別の判定だということです。
ブロックとひき肉で条件が変わるのは、菌が動いたから
ここまでの2本立てが成り立つのは、菌が表面の層にとどまっているあいだだけです。菌が内部へ移ると、前提が消えます。
挽く・刺す・漬ける——表示が義務化された3つの処理
平成13年4月27日の薬事・食品衛生審議会食中毒部会は、腸管出血性大腸菌O157の食中毒事件を受けて、次のようにまとめています。
テンダライズ処理(針状の刃を刺し通し、原形を保ったまま硬い筋や繊維を短く切断する処理)やタンブリング処理(調味液を機械的に浸透する処理)を行った食肉に関しては、調理段階で中心部までの加熱が必要な旨、表示等により情報提供を行うよう、厚生労働省は都道府県等を通じて、行政指導してきた。(中略)これらの処理を行ったため、中心部までの加熱が必要である旨を表示することを義務化する必要がある。また、結着肉についても、食肉内部に微生物汚染のおそれがあることから同様の表示が必要と考えられる。
同じ部会は、牛タタキの事例について「調味過程で原料肉の表面汚染が内部へ浸透したことが示唆された」とも書いています。針で刺す、調味液を機械で浸透させる、複数の肉を貼り合わせる、味を染み込ませる。どれも、表面にいた菌を内部へ運ぶ操作です。
このときの事件では、ビーフ角切りステーキの原料肉199検体中85検体からO157が検出されました。別の事例では、牛タタキとローストビーフを原因として204名の患者から同一の菌が検出され、入院82名、溶血性尿毒症症候群の発症13名という規模になっています。
家庭で同じことをしている操作
業務用の機械処理の話に見えますが、家庭の手順にも同じ操作があります。
| 家庭でやっている操作 | 何が起きるか | 満たすべき条件 |
|---|---|---|
| フォークで全体に穴を開ける | 表面の菌が刺した穴から内部へ入る | 中心部までの加熱条件(63℃30分など) |
| 袋のなかでタレに漬け込む | 調味液とともに菌が内部へ移る可能性がある。告示は調味料等を表面への塗布に限っている | 同上 |
| 挽く・成形する(ハンバーグ・メンチ) | 表面にいた菌が全体に混ざる | 同上 |
| 塊のまま長く冷蔵する | 熟成が進むにつれ菌が表面から内側に入ってゆく | 同上(どの時点で切り替わるかは資料に示されていない) |
| 塩・こしょうを表面にすり込む | 表面にとどまる操作。告示の「表面にのみ塗布」に当たる | 表面と中心の2本立てが維持できる |
出典:表示義務化の3処理は厚生労働省「腸管出血性大腸菌による食中毒の対策について」(平成13年4月27日)、調味料の制限は前掲の告示第370号、熟成と菌の移動は内閣府 食品安全委員会「肉を低温で安全においしく調理するコツをお教えします!」(「通常は、菌は肉を切った表面には付いていますが、塊肉の内側にはいません。しかし、冷蔵保管が長くなり肉の熟成が進むと、菌が表面から内側に入ってゆきます」)。「長く」が何日からかは、いずれの資料にも示されていません。
状態が変わったら、戻る先は中心部の加熱条件
菌が内部に入ったあとは、表面を処理しても意味がありません。条件を満たすべき場所が中心に移り、鶏や豚と同じ1本立てに戻ります。 そのときに使うのは、中心温度に対する公表条件です。63℃30分・65℃15分・66℃11分・70℃3分・75℃1分といった組み合わせの一覧は低温調理とはにあります。
つまり「牛は低温でよい」は牛という動物の性質ではありません。 かたまりのまま、表面にだけ手を入れて扱われた筋肉という状態の性質です。同じ牛でも、挽けば条件が変わります。
時間には3つの使い道がある
「何時間か」という問いに1つの数字で答えられないのは、低温調理の時間が1種類ではないからです。牛には3つあります。
到達時間|牛モモ300g・厚さ3cmで約94分
食品安全委員会が実測値を公表しています。
| 肉の種類と大きさ | 湯の温度 | 中心が湯と同じ温度に届くまで(到達時間) | 到達後に必要な維持時間 |
|---|---|---|---|
| 牛モモ肉 約300g(厚さ約3cm) | 63℃ | 約94分 | 中心63℃で30分間以上 |
| 牛モモ肉 300g(11cm×9cm×厚さ3cm) | 70℃ | 100分 | 中心70℃で3分間 |
| 牛モモ肉 760g(18cm×9cm×厚さ6cm) | 70℃ | 180分 | 中心70℃で3分間 |
| 鶏ムネ肉 約300g(厚さ約3cm) | 63℃ | 平均68分 | 中心63℃で30分間 |
出典:内閣府 食品安全委員会「肉を低温で安全においしく調理するコツをお教えします!」。温度はすべて中心温度(肉の内部温度)で、湯の温度と区別されています。同委員会は牛肉について「肉の温度が上がるまでに平均94分、さらに30分間温度を維持する必要があり、調理に計130分ほどの時間を要します」としています。維持時間の値は厚生労働省の公表条件(63℃30分/70℃3分)です。
同じ300g・厚さ3cmでも、牛は94分、鶏は68分で約1.4倍の差があります。重さだけでも厚みだけでも決まりません。だから「厚み1cmにつき何分」という換算式は作れません。手元の肉が実測値の条件と違うなら、中心温度を測るか、厚さ3cm程度に切り分けて実測値の条件に揃えるかの2つです。鶏むね肉での同じ計算は低温調理の鶏むね肉の温度と時間にあります。
なお、火を止めてからの余熱で到達させることはできません。食品安全委員会は「加熱をしながらある程度中心温度をあげてからでないと、余熱を利用しても内部温度は十分にあがりません」としています。余熱そのものの使いどころは余熱調理にありますが、加熱条件を満たす手段には使えません。
維持時間|温度が決まれば表から決まる
2つめは維持時間です。中心が設定温度に届いてから、告示の表が示す時間だけその温度を保ちます。57℃なら43分、60℃なら12分。この時間は肉の大きさで変わりません。 300gでも760gでも、中心が57℃になっている時間が43分あればよいことになります。
変わるのは到達時間のほうです。湯温を上げても到達は速くなりません。牛モモ300gの場合、63℃の湯で中心が63℃に届くまで約94分、70℃の湯で中心が70℃に届くまで100分です。7℃高い温度まで上げるのに、6分しか余計にかかっていません。 湯温を上げて縮むのは維持時間のほう(63℃なら30分、70℃なら3分)で、そのかわり中心温度が上がるので食感が変わります。
結合組織の時間|安全とは関係なく進む3つめの時間
ここまでの2つを足しても、レシピの「4時間」「8時間」には届きません。3つめの時間があるからです。
牛の赤身の塊には結合組織(コラーゲン)が含まれていて、これはおよそ55〜65℃でいったん収縮して肉を硬くし、その先で水とともに加熱を続けるとゼラチンに変わって柔らかくなります。温度を上げれば済む変化ではなく、その温度に置き続けた時間で進む変化です。仕組みと必要な時間の目安はコラーゲンとゼラチン化の科学にあり、低温調理の経路では60〜65℃で24〜72時間が目安とされています。
つまりローストビーフの4時間は、どちらの側から見ても中途半端な長さです。 安全の側で必要なのは到達時間と維持時間の和(牛モモ300gなら計130分ほど)で、4時間はそれを超えています。結合組織を本格的にほぐす側から見れば、24〜72時間には遠く届きません。赤身の塊を狙いの食感に寄せるための、そのあいだの時間ということになります。
ここで押さえるのは、「4時間やったから安全」にはならないということです。 安全の判定に使えるのは到達時間と維持時間だけで、それを超えた分は食感の側の投資です。
魚を同じ考え方で設計できないのは、ここが理由です。魚の身は結合組織が少なく、この3つめの時間がほとんど要りません。牛は時間を3つに割り、魚は2つで足ります。
前提|ここまでの時間が成り立つ条件
実測値も告示の表も、次の4つが揃っている場合の数値です。1つでも外れると、分数はそのまま使えません。
- 湯温を一定に保てる機器を使うこと。 低温調理器のように設定温度を保持できる器具が前提です。鍋とコンロでは湯温が上下するので、中心温度の上がり方が実測値と変わります
- 中心温度計があること。 無い場合は到達時間を見積もるしかなく、手元の肉が実測値の条件(約300g・厚さ約3cm)から離れるほど誤差が大きくなります
- 冷蔵庫から出した肉で始めること。 常温に長く置いてから始めると、加熱の前に菌が増える温度帯を通ることになります。告示が中心部の35℃以上52℃未満を170分以内と定めているのと同じ理由です
- 袋の空気を抜き、肉塊全体を湯に沈めること。 浮いた部分は湯に触れないので、その面からは熱が入らず到達時間が延びます
食感の窓と安全の下端が重なるのは55〜60℃
最後に、食感の側から温度を見ます。安全の側で選べる範囲と重ねると、実際に使える温度が決まります。
下から閉じるもの|公表された表の下端は55℃
告示の表の下端は55℃です。これより低い温度については、必要な時間が公表されていません。52℃や54℃を選ぶレシピは、何分保てばよいのかを示す出典が無い領域に出ていることになります。
上から閉じるもの|アクチンの変性と脂の融点
上限は食感の側にあります。アクチンは66℃から変性しはじめ、筋繊維を強く縮めて抱えていた水分を押し出します(仕組みはタンパク質の変性)。ここを越えると、赤身はパサつく側に入ります。
一方、下げすぎても問題が出ます。牛脂の融点は40〜50℃で、霜降りの部位はこの温度帯を超えないと脂が溶けず、脂っぽいだけで旨味が出ません。部位ごとの食感の目安は牛肉の火入れにあり、ミディアムレアが54〜56℃、ミディアムが58〜60℃です。
55〜60℃で、色はどうなるか
55〜60℃は、断面が赤からピンクに見える帯です。ただし断面の色は安全の証拠になりません。 色を決めているミオグロビンの変化と、菌が減る条件は別の現象だからです。この論点は肉の色と安全が扱っています。
だから判定に使うのは色ではなく、中心温度計の数字と時計です。 温度計が無い場合に何が言えなくなるかは低温調理は温度計なしで成り立たないにまとめてあります。
食材別の中でのこの記事の立ち位置
兄弟との違い|条件が2本あるのは牛だけ
低温調理の食材別の記事は、温度を縛っているものが何かで分かれています。この記事が引き受けているのは牛の塊肉の部分だけです。
| 食材 | ① 条件の成り立ち | ② 仕上がりの違い | ③ だからどう使うか |
|---|---|---|---|
| 牛の塊肉(この記事) | 条件が中心と表面の2本に分かれる。中心は55〜63℃の9段階、表面は深さ1cm以上を60℃2分以上 | 55〜60℃で赤からピンクまで選べる。時間を延ばすとコラーゲンがほぐれて繊維が緩む | 温度で仕上がりを設計する。表面の処理と中心の設定を別々に決める |
| 鶏むね肉 | 条件は1本。筋肉そのものの汚染率が高く、中心の63℃30分が下限になる | 63℃でほぐれるようなしっとり感、65℃で繊維の存在感。それ以上は急にパサつく | 温度で好みを作れないので、厚みを揃える・塩の当て方・繊維の切り方で差をつける |
| 豚 | 条件は1本。内部汚染を前提に63℃30分が下限 | 下限の値は鶏と同じだが、相手にする菌と経緯が違う | 牛と同じ塊肉でも、中心を食感で選ぶ余地が無い |
| 魚 | 食感が先に温度を決める。寄生虫は加熱ではなく冷凍で処理する | 結合組織が少なく、短時間で仕上がる | 牛のように時間を3つに割る必要がない |
| 卵 | 白身と黄身の凝固温度の差そのものが設計の対象 | 温度で固さが段階的に変わる | 同じ「鶏」でも、筋肉とは問いがまったく別になる |
牛だけが、条件を2本持ちます。 他の食材は、条件を満たすべき場所が中心の1点に決まっているので、数えるのも1本で済みます。鶏との対比でいえば、鶏むね肉は安全の下限がそのまま食感の下限になるので「もっと低くしてしっとりさせる」調整ができません。牛はできますが、下げた分を表面の側で引き受けるという交換が付いてきます。
豚については低温調理の豚肉の温度と時間にあり、牛とは条件の本数が逆になります——牛は中心と表面の2本、豚は中心の1本だけで、表面を処理しても下限は動きません。魚・卵の記事はまだありません。食材ごとの決め方の枠組みは低温調理の食材別の温度と時間にまとまっています。
この記事が答えていないこと
この記事が答えていないことも書いておきます。なぜ温度と時間が交換できるのかは75℃1分と63℃30分が同等な理由の担当です。加熱していないあいだの条件(放置してよい時間、冷却の速さ)は危険温度帯は何℃かが扱います。低温で加熱するとなぜしっとりするのかという食感の原理は低温調理で肉がしっとりする原理にあります。
まとめ
低温調理のローストビーフは、次の4点で決まります。
- 条件は中心と表面の2本あり、別々に数えます。 中心は告示の表(55℃97分/57℃43分/60℃12分/63℃瞬時など9段階)、表面は生食用食肉の規格基準(深さ1cm以上を60℃で2分間以上)。焼き目を付けたことは、表面の条件を満たした証拠になりません
- 表の数値は「肉塊のまま・調味料は表面にのみ塗布」が前提です。 フォークで刺す、タレに漬け込む、挽く、長く冷蔵する——どれをやっても菌が内部へ移り、条件は中心部の加熱条件(63℃30分など)に戻ります
- 時間は到達・維持・結合組織の3つです。 牛モモ300g・厚さ3cmなら到達に約94分で、安全に必要なのは到達と維持の和(計130分ほど)まで。レシピの4時間はそれを超えた食感のための時間です
- 選べる温度の下端は55℃です。 52〜54℃は日本の公表条件の外で、何分保てばよいかを示す出典がありません。上端はアクチンの変性(66℃)が閉じています
手元の肉が実測値の条件(300g・厚さ3cm)と違うときにやることは、中心温度を測るか、厚さを揃えて切るかの2つです。早見表の分数を覚える必要はありません。覚えるのは、牛では条件が2本あり、それが1本に戻る操作がどれかのほうです。
よくある失敗と対策
中が生だった回復できる
- なぜ
- 中心部への熱伝導の遅れです。牛モモ300gでも63℃到達に約94分かかり、殺菌はそこから始まります
- どうする
- 中心温度計を刺して設定温度への到達を確認し、そこから必要な時間を数え直します
- 次から
- 総加熱時間ではなく「到達時間+維持時間」で計画し、到達を確認してから数えます
パサついた諦める
- なぜ
- アクチンが変性しています。66℃から筋繊維が強く縮み、抱えていた水分を押し出します
- どうする
- 抜けた水分は戻りません。次回は設定温度を下げ、60℃なら中心到達後12分、55℃なら97分を維持します
- 次から
- 到達を早める目的で湯温を上げないこと。縮むのは到達時間ではなく維持時間です
火の通りにムラが出た回復できる
- なぜ
- 袋に残った空気が断熱層になり、湯が触れていない面から熱が入っていません
- どうする
- 袋を沈め直して空気を抜き、中心温度を測り直してから到達と維持を数え直します
- 次から
- 水圧で空気を押し出してから封をし、重しを載せて肉塊全体を湯に沈めます